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赤いハンカチ
てぇへんだ てぇへんだ この秋はスズメがいねぇトンボもいねぇ・・・何か変だよ
▼オリンパスブルーを求めて<30>
2010年01月31日
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■日常的なあまりに日常的な弁証法
<2010.01.31 「こどもの国」にて>
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4 コメント
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何故こんな馬鹿げた戯言を掲げているのですか
(
泥炭
)
2010-02-21 11:41:12
権威主義の嫌いなはずのかもめさんがいかにルソーの言葉とは言え、何ゆえにかくも馬鹿げた
戯言
> 科学や芸術は一種の贅沢であり虚偽の装飾にすぎない・・・ルソー
をヘッドに掲げているのですか? 科学の成果にとっぷり使ってパソコンと写真機なしでは一日も過ごせないかもめさんがまさかこんなルソーの言葉を真に受けているわけでもないでしょう。 それとも、かもめさんにとっては思想とは現実の己の生き様とは切り離された口先だけのお遊びですか?
そろそろ【教育について語ろう21】への登板もお考えに成っては如何ですか? あんまり長いこと一人でいたら頭が寂び付きますよ。
返信する
神信心は文学や芸術を評価する規範にはならんでしょう
(
泥炭
)
2010-02-27 16:10:57
今日は、オリンパスブルーを求めて<19>以来、1ヶ月近く、当掲示板でのかもめさんの書き込みが絶え、写真掲載も2月なってからありませんね。 今井さんのところへの書き込みが無ければどうかされたのかと思ってしまうところでした。 ああ、そうそう、其れに先立って、私の書き込みに答えて即座にルソーの戯言を取り除いてくれたんでしたね。 聞き分けていただいてまずは御礼申すべきでした。 有難うございます。
またまた冒頭の警句についての書き込みで失礼します。 なおこの書き込みについてのご議論があればそれは当掲示板かもしくは【教育について語ろう21】でお願いします。 転載無用に願います。
> 人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である・・・ゲーテ
此処に言う宗教的とはどういうことでしょうか? 求道的とか、進歩主義的とか、言うのならば私にもこの警句は素直に頷けます。 しかし、神さまとか出てくるといけません。 そりゃ尾骨みたいなもので、科学的に真理を追究する術の無かった古来の人々がこの世に起こる理解し難き森羅万象を受け入れ納得するために設えた虚構の遺物に過ぎません。 一刻も早く克服すべき汚点です。 天皇崇拝と似たようなものです。 自己欺瞞であり、妄想であり、権威主義です。 私達には神にでも縋るよりほか癒す術もない悲しみがある事は事実ですが、文学や芸術の価値基準に宗教なんぞ持ち出したらお門違いです。
もっとも、聖書や古事記の冒頭に現われる宇宙創成の物語は、今もって神秘的です。 現在の宇宙論の大勢は【宇宙は無から生じた】と信じている様です。 そんな馬鹿な、無から何かが生まれ出てくるはずは無い。 私は、そう考える凡人です。 もっとも此処で言う【無】とは真空状態とは違います。 真空状態なら私にも何とか想像できますし、そこに外部から何らかの働きかけをする事で何か変化を起させ得るか否かを論じたり想像する事なら私にも出来ます。 しかし、現在の宇宙論で【宇宙は無から生じた】と言う時の無とはその真空状態すら無いのです。 真空状態にあるか否かを論ずべき空間そのものが無いのだと言うのです。 空間が無いところに在る時突然空間が生まれ物質が出現し、その空間が猛烈な勢いで拡大したというのです。 その当時に極近くにあった二点の内の一方から発生した光がその直ぐ側にあったはずの点に辿り着くのに130億年ほどかけて今は彼方遠方にある星からやって来て今降り注いでいるというのです。 私にはこんな話は殆んど何をどう考えたらよいのかさえ分かりません。 私には問題を正確に記述することさえできません。 私はたった是だけの事を言うのにさえ既に間違った事を二つも言ってしまいました。 私は【空間が無いところに或る時】突然宇宙が生まれたと申しました。 これは正確な表現ではありません。 こう言ってしまったら、まるで空間の無い【ところ】が存在するようですし、【或る時】なんぞと言ってしまったらまるで宇宙生誕以前にも時間の流れがあったようではありませんか。 しかし、現在の宇宙論では時間もまたその時に始まったと言うのです。 宇宙生誕の以前の時間と言うものは無いのです。
私の生誕なら問題ありません。 私の肉体の占める空間も私にとっての時間も私が受精した瞬間に始まったと言ったって少しも困惑したりしません。 私にとって生誕前の時間も空間も私の五感を通じて認識しえたものではありません。 私にとっては生誕以前には何も無かったかのごとくでもあります。 私にとって私のうまれる前の空間の存在や時間の流れは知識として見聞したものに過ぎません。 しかし私がそこで困惑しないのは私が今見聞きしているものと私の生まれる前にも私の外に厳然として私を取り巻く空間があり、その空間には私の生誕を待ち望んでいてくれた確かな時の流れがあったと言う前提が良く調和し整合するからです。 宇宙論の言う宇宙生誕時には宇宙の生まれ出でるべき空間も無ければ、その生誕を待ち望んでいた時の流れも無かったと言うのです。 私は混乱し、思考の基点の喪失を感じないでは居られません。
しかし、こう言う話は、いかに奇想天外でも神の存在の様に簡単に否定し去る事はできません。 その様な学説の根拠に成るいくつかの事実が知られているからです。 宇宙の彼方からやってくる光は波長が間延びしています( 黄色や青のスペクトラムが赤身がかって見える: 赤方偏移 )。 これは駅のプラットホームに立っている時に、私達が実際に経験するドップラー効果と同じものです。 プラットホームに立っている時、その駅では止まらない特急電車などが貴方の目の前を通り過ぎる時、その特急電車の空気を切る音が貴方の目の前を通過するとき急に低くなるのを感じた事はありませんか。 音の大きさではなく高さ、波長の問題です。 光でも同じ事がおきます。 特急電車から発せられた光は特急電車の窓から投げ出された空き缶とは違ってその速さはその特急電車の速さの影響を受けませんが、波長は影響を受けます。 光の速度は不変ですが光の波長は音と同じ様に変化します。 そのため、宇宙の遠方からやってくる光の波長の変化を見ていると遠くの星の速度が分かります。 そして、20世紀に成って科学者達は宇宙の彼方の星が悉く私達から素晴らしい速さで遠ざかって行っているのを知ったのです。 遠い星ほど速く飛び去って行くのです。 これが膨張宇宙論です。 膨張宇宙論にしたがって過去に遡ると宇宙は一点に凝縮してしまいます。
現在宇宙には1千億個もの銀河があり、その一つ一つの銀河がまた数千億個ほどもの太陽系の様な恒星から成り立っている事が知られています。 そうした星々が唯一点に凝縮したりできるはずが無いと私は考えます。 しかし、この考えはあまり説得力がありません。 今では、宇宙にはブラックホールなるものが幾つも発見(正確には存在の傍証が観測)されています。 ブラックホールは太陽より質量がずっと大きな恒星が一点に凝縮したもので、周辺の物質を吸い込んでしまいます。 我等が銀河系の中心にも太陽の数千万倍の質量を持つブラックホールが存在するようです。 私にはこうした物語を受け入れるに充分な基盤はありませんがいずれ理解すべく取り組んでみる心算でいます。 少なくとも其れに賛成するにしろ反対するにせよ、観測事実に基いて、きちんと筋道を立てた議論をしなければなりません。
ところで神の存在を否定する私ですが、この【宇宙】のどこかに天国、私達の殆んど誰もが満足できる様な素晴らしい楽園、が存在するかと言う問いかけならば、「無くってどうする」と思います。 しかも一つや二つの星の上の話ではなく恐らくは何千億個もの星の上でそれこそ【天国】の様な素晴らしい文明が営まれているに違いないと思います。 私達の銀河系の中にもそんな文明の栄える星が幾つかはあるかもしれません。 それは私達の地上の文明を今後もっと良いものにする事ができると信じる事と殆んど同じことだと思います。 宇宙の何処にも今【天国】の様な文明が存在しないのなら、この地上でのみそれを何時の日か実現できると信じるのは殆んど根拠の無いことだと思います。 勿論、これは可能性を言っているのであって、科学的証明は誰にとっても今後の課題でしょう。 問題はそうした素晴らしい文明を持つ異星人との通信の可能性ですが、その点になると私は悲観的です。 宇宙はあまりに広大です。 隣の恒星さえあまりにも離れています。 存在するはずなのに、ついに触れることの出来ない楽園。 そんな存在はいっそ知らないほうが幸福かもしれません。 しかし、世の中には1往復100年ぐらいの時間をかけた会話の可能な範囲には【楽園】かどうかは分からないが人類と同程度に高度な文明を持つ異星人の存在する可能性はあると信じている人もいるようです。 その様な【異星人の文明】や【楽園】の存在を論じることなら私は意義を感じます。
返信する
勘違い
(
泥炭
)
2010-03-09 00:04:57
> 今日は、オリンパスブルーを求めて<19>以来、1ヶ月近く、当掲示板でのかもめさんの書き込みが絶え、写真掲載も2月なってからありませんね。
酷い勘違いでした。 月が替わって居るのを忘れてました。ごめんなさい。 それにしても、こう言う月ごとにアドレスの替わるシステムはホローが難しい。 素適な写真の投稿が続いていたんですね。
返信する
Unknown
(
今井政幸
)
2016-11-26 12:06:30
ドラゴンズブルー
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芸名・・・かもめ
わが子は二十に成りぬらん博打してこそ歩くなれ国々の博党にさすが子なれば憎かなし負いたまふな王子の住吉西の宮・・・「梁塵秘抄」
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戯言
> 科学や芸術は一種の贅沢であり虚偽の装飾にすぎない・・・ルソー
をヘッドに掲げているのですか? 科学の成果にとっぷり使ってパソコンと写真機なしでは一日も過ごせないかもめさんがまさかこんなルソーの言葉を真に受けているわけでもないでしょう。 それとも、かもめさんにとっては思想とは現実の己の生き様とは切り離された口先だけのお遊びですか?
そろそろ【教育について語ろう21】への登板もお考えに成っては如何ですか? あんまり長いこと一人でいたら頭が寂び付きますよ。
またまた冒頭の警句についての書き込みで失礼します。 なおこの書き込みについてのご議論があればそれは当掲示板かもしくは【教育について語ろう21】でお願いします。 転載無用に願います。
> 人間は、宗教的である間だけ、文学と芸術において生産的である・・・ゲーテ
此処に言う宗教的とはどういうことでしょうか? 求道的とか、進歩主義的とか、言うのならば私にもこの警句は素直に頷けます。 しかし、神さまとか出てくるといけません。 そりゃ尾骨みたいなもので、科学的に真理を追究する術の無かった古来の人々がこの世に起こる理解し難き森羅万象を受け入れ納得するために設えた虚構の遺物に過ぎません。 一刻も早く克服すべき汚点です。 天皇崇拝と似たようなものです。 自己欺瞞であり、妄想であり、権威主義です。 私達には神にでも縋るよりほか癒す術もない悲しみがある事は事実ですが、文学や芸術の価値基準に宗教なんぞ持ち出したらお門違いです。
もっとも、聖書や古事記の冒頭に現われる宇宙創成の物語は、今もって神秘的です。 現在の宇宙論の大勢は【宇宙は無から生じた】と信じている様です。 そんな馬鹿な、無から何かが生まれ出てくるはずは無い。 私は、そう考える凡人です。 もっとも此処で言う【無】とは真空状態とは違います。 真空状態なら私にも何とか想像できますし、そこに外部から何らかの働きかけをする事で何か変化を起させ得るか否かを論じたり想像する事なら私にも出来ます。 しかし、現在の宇宙論で【宇宙は無から生じた】と言う時の無とはその真空状態すら無いのです。 真空状態にあるか否かを論ずべき空間そのものが無いのだと言うのです。 空間が無いところに在る時突然空間が生まれ物質が出現し、その空間が猛烈な勢いで拡大したというのです。 その当時に極近くにあった二点の内の一方から発生した光がその直ぐ側にあったはずの点に辿り着くのに130億年ほどかけて今は彼方遠方にある星からやって来て今降り注いでいるというのです。 私にはこんな話は殆んど何をどう考えたらよいのかさえ分かりません。 私には問題を正確に記述することさえできません。 私はたった是だけの事を言うのにさえ既に間違った事を二つも言ってしまいました。 私は【空間が無いところに或る時】突然宇宙が生まれたと申しました。 これは正確な表現ではありません。 こう言ってしまったら、まるで空間の無い【ところ】が存在するようですし、【或る時】なんぞと言ってしまったらまるで宇宙生誕以前にも時間の流れがあったようではありませんか。 しかし、現在の宇宙論では時間もまたその時に始まったと言うのです。 宇宙生誕の以前の時間と言うものは無いのです。
私の生誕なら問題ありません。 私の肉体の占める空間も私にとっての時間も私が受精した瞬間に始まったと言ったって少しも困惑したりしません。 私にとって生誕前の時間も空間も私の五感を通じて認識しえたものではありません。 私にとっては生誕以前には何も無かったかのごとくでもあります。 私にとって私のうまれる前の空間の存在や時間の流れは知識として見聞したものに過ぎません。 しかし私がそこで困惑しないのは私が今見聞きしているものと私の生まれる前にも私の外に厳然として私を取り巻く空間があり、その空間には私の生誕を待ち望んでいてくれた確かな時の流れがあったと言う前提が良く調和し整合するからです。 宇宙論の言う宇宙生誕時には宇宙の生まれ出でるべき空間も無ければ、その生誕を待ち望んでいた時の流れも無かったと言うのです。 私は混乱し、思考の基点の喪失を感じないでは居られません。
しかし、こう言う話は、いかに奇想天外でも神の存在の様に簡単に否定し去る事はできません。 その様な学説の根拠に成るいくつかの事実が知られているからです。 宇宙の彼方からやってくる光は波長が間延びしています( 黄色や青のスペクトラムが赤身がかって見える: 赤方偏移 )。 これは駅のプラットホームに立っている時に、私達が実際に経験するドップラー効果と同じものです。 プラットホームに立っている時、その駅では止まらない特急電車などが貴方の目の前を通り過ぎる時、その特急電車の空気を切る音が貴方の目の前を通過するとき急に低くなるのを感じた事はありませんか。 音の大きさではなく高さ、波長の問題です。 光でも同じ事がおきます。 特急電車から発せられた光は特急電車の窓から投げ出された空き缶とは違ってその速さはその特急電車の速さの影響を受けませんが、波長は影響を受けます。 光の速度は不変ですが光の波長は音と同じ様に変化します。 そのため、宇宙の遠方からやってくる光の波長の変化を見ていると遠くの星の速度が分かります。 そして、20世紀に成って科学者達は宇宙の彼方の星が悉く私達から素晴らしい速さで遠ざかって行っているのを知ったのです。 遠い星ほど速く飛び去って行くのです。 これが膨張宇宙論です。 膨張宇宙論にしたがって過去に遡ると宇宙は一点に凝縮してしまいます。
現在宇宙には1千億個もの銀河があり、その一つ一つの銀河がまた数千億個ほどもの太陽系の様な恒星から成り立っている事が知られています。 そうした星々が唯一点に凝縮したりできるはずが無いと私は考えます。 しかし、この考えはあまり説得力がありません。 今では、宇宙にはブラックホールなるものが幾つも発見(正確には存在の傍証が観測)されています。 ブラックホールは太陽より質量がずっと大きな恒星が一点に凝縮したもので、周辺の物質を吸い込んでしまいます。 我等が銀河系の中心にも太陽の数千万倍の質量を持つブラックホールが存在するようです。 私にはこうした物語を受け入れるに充分な基盤はありませんがいずれ理解すべく取り組んでみる心算でいます。 少なくとも其れに賛成するにしろ反対するにせよ、観測事実に基いて、きちんと筋道を立てた議論をしなければなりません。
ところで神の存在を否定する私ですが、この【宇宙】のどこかに天国、私達の殆んど誰もが満足できる様な素晴らしい楽園、が存在するかと言う問いかけならば、「無くってどうする」と思います。 しかも一つや二つの星の上の話ではなく恐らくは何千億個もの星の上でそれこそ【天国】の様な素晴らしい文明が営まれているに違いないと思います。 私達の銀河系の中にもそんな文明の栄える星が幾つかはあるかもしれません。 それは私達の地上の文明を今後もっと良いものにする事ができると信じる事と殆んど同じことだと思います。 宇宙の何処にも今【天国】の様な文明が存在しないのなら、この地上でのみそれを何時の日か実現できると信じるのは殆んど根拠の無いことだと思います。 勿論、これは可能性を言っているのであって、科学的証明は誰にとっても今後の課題でしょう。 問題はそうした素晴らしい文明を持つ異星人との通信の可能性ですが、その点になると私は悲観的です。 宇宙はあまりに広大です。 隣の恒星さえあまりにも離れています。 存在するはずなのに、ついに触れることの出来ない楽園。 そんな存在はいっそ知らないほうが幸福かもしれません。 しかし、世の中には1往復100年ぐらいの時間をかけた会話の可能な範囲には【楽園】かどうかは分からないが人類と同程度に高度な文明を持つ異星人の存在する可能性はあると信じている人もいるようです。 その様な【異星人の文明】や【楽園】の存在を論じることなら私は意義を感じます。
酷い勘違いでした。 月が替わって居るのを忘れてました。ごめんなさい。 それにしても、こう言う月ごとにアドレスの替わるシステムはホローが難しい。 素適な写真の投稿が続いていたんですね。