世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

緑に飲み込まれ崩れかかった遺跡が突然に出現するミーソン(ベトナム)

2009-03-01 08:52:41 | 世界遺産
1997年の地震によって壊滅的な被害にあったのも関わらず復興した遺産がイタリアのサン・フランチェスコ聖堂でしたが、ベトナムには天災ではなく戦争という人災によって破壊された遺跡がフエの王宮の他にもあります。フエの南にあるミーソン遺跡がそれで、一面の緑の中に、崩れたレンガ造りの塔や今にも崩れそうな壁などが、周りの緑に飲み込まれそうになっています。今回は、ベトナム戦争の激戦地のダナン郊外にあるミーソン聖域を紹介します。

 ミーソン聖域は、ベトナム中部の都市ダナンから南東に70kmくらい内陸に入ったところで、車で1時間少しのところにあります。ベトナムには5つの世界遺産がありますが、そのうちの3つの、フエの古建築、ホイアンの町並み、そしてミーソン遺跡とが比較的近いところにかたまっていて、観光には都合よくできています。遺跡の近くを流れるトゥーボン川の河口にある町がホイアンということになります。ホイアンやダナンから車でミーソンに向かうと、「わが息子(My son)」という表示があちこちにあって、これは何を意味するのだろう?と思ったら、ミーソンの地名は英文でMy sonと綴るんですね。

 さてそのミーソンの遺跡群は、南ベトナムにあったチャンパ王国が4世紀から13世紀にかけて作ったヒンドゥー教の聖域で、大小70余りの堂塔やその残骸からなっています。インドネシアのプランバナンやカンボジアのアンコール遺跡と似た感じがするのは、同じヒンドゥー教の遺跡という共通性と思います。特に、アンコール遺跡群のタ・プローム遺跡と野類似点は、遺跡が自然に飲み込まれつつある点でしょうか。タ・プロームでは、遺跡の上に大木が根を伸ばして遺跡を覆っていますが、ミーソンでは、遺跡の上や周りに木や草が茂って、レンガの壁面が見えなくなっています。

これらの木や草の根がレンガや石の構造物の間に入り込んで、やがて遺跡を破壊してしまうのではないでしょうか。遺跡が長い間自然の中に放置されていたことや、自然の生命力の旺盛な地域という共通点が似た結果につながっているのかもしれません。

 崩れかかった堂塔ですが、その壁にはアンコール遺跡で見られるようなレリーフがかなり残っています。東洋のモナリザと称されたアンコールのバンティアイ・スレー遺跡のレリーフのような躍動感はありませんが、静的で厳粛な美しさがあるよう思います。

ただ、これらの彫像の周りにも雑草が容赦なく根を張っていて、崩れてしまわないかが心配になるところです。

 草木などの自然による遺跡の破壊は、時間をかけてゆっくりと忍び寄るものですが、戦争による破壊は一瞬にして遺跡を瓦礫の山にしてしまいます。ベトナム戦争当時は、遺跡が解放軍の拠点として使われたことから、米軍の攻撃目標になってフエの王宮と同様に貴重な遺跡が破壊されてしまいました。

この遺跡の爆撃が、誤爆だったのか、狙い定められたものかは解りませんが、攻撃側の主張で、非戦闘員の民間人を攻撃したのは、誤爆だと言われることがありますが、IT技術のよってピンポイントの制御ができる現在では、嘘もいい加減にしろと言いたくなります。


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