世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

古くから多くの文人に愛され、いかにも中国的な風景の西湖も世界文化遺産に登録されました(中国)

2011-07-03 08:00:00 | 世界遺産
 2011年のユネスコの世界遺産会議では、わが国の小笠原諸島が自然遺産に、平泉が文化遺産に各々新規に登録されました。本来は、この2つの世界遺産を紹介したいところですが、小笠原は未訪問、平泉は3度も訪問しているのですが、アナログ時代の写真が行方不明で残念ながら紹介できません。そこでということで、お隣の中国で新規登録された江南地方の西湖について紹介をしたいと思います。

中国の江南地方は揚子江の河口近くに水辺に緑の木々が美しい水郷の町がたくさんあります。それらの中では、先に世界遺産に登録されていた蘇州が日本人にはおなじみの町のようですが、今回新規に登録された杭州の西湖は蘇州とはまた違った風情のある場所です。また、杭州で上演される崑劇は、西湖の文化遺産の登録より先の2001年に無形文化遺産に登録されています。

 
  西湖のある杭州は上海の南西にあって、中国で導入の進んでいる高速列車に乗れば1時間足らずで到着してしまいます。世界遺産に登録された西湖は市街地の西にあり3km四方ほどの湖で、もとは干潟であったため平均の水深は2m足らずという浅いものです。湖の中には島や堰堤があり、島には観光船に乗って渡ることが出来ます。これらの島の中で三潭印月は最大で、島の中に水面がありその中にまた島があるという2重構造になっています。島の中にはいくつかの建物があり、窓の透かし彫りを通した景色も奇麗ですが、さらに壁に空けられた丸い形の通路越しに見える西湖の湖面も中国絵画を見ているようです。湖上には大きな石灯籠があり、ここに点された明かりと月明かり、それに湖面に反映した明かりが加わった光景は西湖十景に挙げられています。


 冒頭で紹介した崑劇ですが、14世紀頃に蘇州の崑山ではやり、その近くに広まった歌劇で、京劇よりも歴史の古いものです。たまたま、西湖の北岸を散歩していたときに宝石山の麓の公園で公演があってみることが出来ました。観劇は無料でしたが、座って見るための折りたたみ椅子が有料で貸し出されていました。この北岸には、白堤があって両側に湖面を見ながらの散歩が楽しいところや、金石、篆刻を研究する学術団体の建物ですがお庭が奇麗な西冷印社など、西湖の周辺はいかにも中国といった風景が広がっています。

 平面的で水墨画調の西湖から西に郊外に行くと、ごつごつとした岩山に数多くの石仏が彫られた飛来峰と呼ばれる岩山を擁する霊隠山霊隠寺があります。お寺も二千年の歴史があるようですが、この場所を有名にしているのは飛来峰に10世紀頃から彫られてきた400体近くの石仏です。中でも写真で紹介されることが多いのが、日本では布袋尊として親しまれている像で、中国では遠い未来に出現する弥勒と位置づけられ尊ばれているようです。

 西湖から南に丘を越えて銭塘江のほとりまで行くと、西湖の平面に対して垂直に伸び上がる塔が建っています。六和塔という木とレンガを積み上げた八角七層の塔がデン!と建っています。まさしくデン!といった感じなのです。日本の塔のようにお世辞にもスマートとは言えませんが、強烈な存在感があります。エレベータは当然ありませんが、階段を使って60mの高さの最上部まで登ることが出来、銭塘江やそれを渡る鉄道と道路の併用橋の連続トラスが眺められます。旧暦8月の満潮時には25km/hで銭塘江を逆流する大きな波を見ることも出来るそうです。

 弥勒菩薩は釈迦の入滅後56億7千万年後の未来に釈迦の再来として姿を現す仏様として位置づけられ、日本では京都広隆寺の半跏像が有名です。ところが中国では、おなかの大きな布袋が現世に現れた弥勒と位置づけられています。所変われば、仏も変わる・・なのでしょうが、そもそも釈迦の唱えた原始仏教では、如来や菩薩などの仏や神といった存在は無く、後世に付け加えられた概念です。日本人の考えている仏教の多くは中国思想の影響を受けたもので、禅宗は道教の考えが支配的です。情報伝達の手段が整わない頃に、距離と時間が離れていては情報の内容も変わってしまったのでしょう。現代の社会では、ネットワーク技術の発展で、瞬時に情報が伝えられ、正しい情報が得られると考えられますが、どうもそうでもないようです。いつの時代にも、権力によって歪められたり、止められたりという構図は変わらないのかもしれません。


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