世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

板橋はコンクリート橋に架け替えられていますが、仲宿商店街の中にも中山道の宿場町の雰囲気が漂う板橋です

2023-12-03 08:00:00 | 日本の町並み
 中山道と日光例幣使街道の分岐点の宿場町の倉賀野には旧脇本陣の建物などの古い町並みが残っていました。中山道は日本橋を起点とする五街道の一つで、軽井沢あたりまでは現在の北陸新幹線沿いに伸びていましたが、都内では唯一の街道の宿場町が板橋宿になります。今回は、板橋の地名の元ととなった板橋が残る中板橋周辺を紹介します。

 
 古い町並みが残るのは都営地下鉄の板橋本町駅から板橋区役所駅の間の東側を地下鉄路線と平行に走る旧中山道沿いで、区役所よりは仲宿という商店街になっています。北側の環七通りから通りに入って200m程行くと縁切榎とそばに祠があります。男女の悪縁や断酒を願ってこの榎の樹皮を削ぎ落してひそかに飲ませれば効果抜群とのいわれがありますが、婚姻の時には縁起が悪いので、婚礼行列は避けて通るようにあり、皇女和宮の下向の際には迂回路まで作られたそうです。

 
 
 
 板橋の地名の由来となった板橋は現在も健在で、縁切り榎からさらに南に200mほど、石神井川に架かっていますが、板の橋ではなくコンクリートの橋になっています。

 
 
 ここから南が仲宿商店街で、基本的に商店が続きますが、ポツポツと板囲いの古民家が残っています。いくつかのお寺もあって、成田山の末寺となっている編照院は、江戸時代には板橋宿の駒つなぎの場所として使われたそうです。

 
 
 そして板橋区役所駅近くに土蔵造りのりっぱな商店が、周りの空気とは異なる雰囲気で存在感を示して建っています。大正時代に建てられた米屋で、現在はコメの販売を行われていませんが板五米店の名称でお弁当などの食料品が売られています。

 縁切りといえば、DVなどにより絶縁もその一つでしょう。いつも問題になるのが、加害者側からのアクセスを、いかに遮断するかで、被害者の所在を隠ぺいしたにもかかわらず、加害者に漏れてしまうということです。これは、現在のように情報が氾濫されいる社会では、むしろ遮断すること自体に無理がありそうです。SNSやLINEなどの情報や会員登録情報の名寄せでターゲットになる人物の住所などは簡単に分かってしまうそうです。また、システム管理者側からの情報漏洩も完全には止めることは不可能で、どのような組織にも数パーセントの不良分子が存在するという分析もあり、内部漏洩もありえます。このようなネット社会って、本当に幸せなんでしょうか。