世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

佐賀市のお隣の小城は町中が羊羹屋さんだらけでした

2020-02-16 08:00:00 | 日本の町並み
 県庁所在地でありながら、どことなくローカル色が漂う町のかつての長崎街道沿いに土蔵造りの白壁の家並が続いているのが佐賀市でした。佐賀県の空の玄関も佐賀空港も田んぼの中のような場所にあって、空港内であまり飛行機の姿を見かけない空港の一つです。ところが、この空港に飛んでくるLCCのおかげか、佐賀県は中国からの観光客の多い県の一つになっているようです。その中国が原産で料理から日本でお菓子に変貌したものが羊羹ですが、町中に羊羹屋があるのが佐賀駅のある長崎本線から分岐する唐津線で1駅の小城です。今回は、羊羹を食べて一服・・・JRの小城駅から北に広がる町並みを紹介します。

 羊羹は、5世紀ごろの中国で時の皇帝に献上されて喜ばれたという料理で、字の通り羊の肉を煮たスープだったそうです。この羊羹は、冷えると肉のゼラチン分が固まって煮凝り上になり、やや現在の羊羹の形状に似たものだったようです。この羊羹が鎌倉時代から室町時代に禅宗とともに日本に伝えられたが、仏教では肉食を禁じることから、肉ではなく小豆や澱粉を使って蒸して固めたものになり、現在の羊羹の原型が出来上がりました。その後、現在の天草を使った甘い練り羊羹が歴史に登場するのは駿河屋が秀吉に献上したものです。

 
 
 
 小城の羊羹の歴史は明治からで、羊羹づくりに適した場所であったためのようです。佐賀は羊羹に必要な水、寒天、砂糖それに小豆が手に入りやすい場所であったために明治の初期に興り、明治の後期には機械化と鉄道の駅売りで売り上げを伸ばしたのが現在の村岡総本舗です。村岡総本舗の店舗の隣には羊羹資料館があり、建物もなかなか味わいがありますが、小城羊羹の歴史がよくわかる展示がある、その中には駅売りのおかもちも展示されていました。ただ、現在の小城駅は委託駅で、駅舎は明治時代に建てられた趣のある建物が残っていますが、ディーゼルカーの乗客の大部分が学生の通学駅になっているようです。

 
 
 
 その小城駅を下車して駅から北に延びる道を少し行って左折すると小城公園です。小城藩の初代藩主によって作られた公園で、桜の名所になっているようです。園内には心字池があり、岡山神社と烏森稲荷の2つの神社そして中央付近には茶筅塚古墳もあって市民の散歩場所になっているようです。公園の北端には小城藩邸の正門の前に架かっていた石橋だけが駐車場の片隅にポツンと残っています。またその近くには中林梧竹という書家の立てた退筆塚というものもありました。

 
 
 
 
 小城公園から村岡羊羹までは1.5kmほど、小城市といっても途中には羊羹屋や造り酒屋などがぽつりぽつりとあるのんびりとした田舎道です。小城市内にはいくつかの登録文化財があり、小城駅や村岡羊羹の資料館のほかに、この道筋にも点在しています。小城公園の近くにはルーテル教会、かなり村岡羊羹に近いところの小柳酒造とその先には、かつての造り酒屋であった深川家住宅もあります。この道は、かなりの幅がある車道なので、田舎道のような風情には欠けますが、駅から須加神社のふもとまでのんびりと散歩に向いているかもしれません。

 小城羊羹は木枠にで固めた大きな羊羹を包丁で切り分けた「切り羊羹」の伝統手法が使われ、乾燥した表面に砂糖の結晶ができてシャリシャリとした歯ごたえが特徴です。いくらでも食べたくなるのですが、甘いものを食べ過ぎると糖尿病が心配になります。糖尿病には食事療法が使われますが、この分野にもスマホを使った食事管理が研究されているようです。香川大の手法は毎日の食事をスマホで撮って管理栄養士に送るというもので、画像を見見て内容を判断するのは人間ですが、桐生大学の研究では、撮った画像を須磨秀解析して摂取した栄養素を推定するものです。データベースが少ないために、まだまだ認識率が悪いようですが、こちらのシステムの完成度が上がれば、食事の自己管理も進むのではないでしょうか。