世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

異なる民族をつなぐ架け橋であったモスタルのスタリ・モストは再建されましたが、民族間のしこりはなかなか解消されないようです(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2019-10-06 08:00:00 | 世界遺産
 紀伊半島の海辺や奥地に仏教や神道の聖地が広がるのが紀伊半島の霊場と参詣道の世界遺産で、天皇を始め数多くの庶民までが蟻の熊野詣と呼ばれるようにぞろぞろと参詣したのが参詣道の熊野古道などでした。日本人は、神道、仏教、キリスト教などのいいとこ取りで、悪く言うと宗教に対して節操の無いところがあって、宗派間での争いは比較的少ない国でした。ところが、世界的に見ると、地域紛争を始め戦争の原因のかなりの部分は宗教対立で、キリスト教とイスラム教との対立が目立ちます。その一つが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、戦場になったモスタルにあって紛争で破壊された民族間をつないできたスタリ・モストが再建され世界遺産になりました。

 
 モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴビナの南部にある5番目に大きな都市で、首都のサラエボの南東70kmほどに位置しますが、観光にはクロアチアのドゥブロクニクからバスで行く方が便利なようです。バルカン半島には、戦後にユーゴスラビアが誕生しましたが、1991年にユーゴからクロアチアが独立したことを契機に、多民族で宗教も違う集合体のユーゴは、数年にわたる紛争に突入してしまいます。モスタルも主戦場の一つとなり、数多くの宗教施設を始め町の大部分が破壊されてしまいました。

 
 
 やがて町の中心を流れるネレトヴァ川を挟んでクロアチア勢力とボスニア軍とが対峙することになり、1993年に両岸をつないでいたスタリ・モストが破壊されてしまいました。その後、2003年から2004年にかけて橋の修復が行われ、現在みられるものは再建されたアーチ橋になります。この橋の上からダイビングを行う事が恒例になっており、訪問した時にも、飛び込むようなポーズをしている人が居ましたが、単なるポーズだったようです。再建された橋からのダイビング大会では、まだまだクロアチア系とボスニア系コミュニティとの間で軋轢が残るなか、クロアチア系の参加は抵抗があったとのことです。現在はスタイリ・モスト以外にも、ネレトヴァ川の両岸をつなぐアーチ橋があって、見間違えるようにもなっているようです。

 
 
 
 
 町の中の再建も進んでいますが、躯体だけが残り、その壁には無数の銃弾の後が残るビルも見受けられます。記憶を消さないために、意識的に残しているのかもしれません。町中には、多くのモスクがありますが、訪問したモスクが再建なのか、修復なのかは分かりませんでしたが、通常はアラベスク模様が描かれる壁画に自然の産物の木が描かれていました。お土産屋さんが多くある小道を通ると、木漏れ日が気持ちよく、かつてここが激戦場だったことを忘れさせてしまいます。

 

 モスタルの伝統的な民家の内部が公開されていて、人々の生活ぶりも垣間見られます。木造の2階建てで、入口の階段わきの飾られてゼラニュウムや庭のアジサイの花が綺麗でスイスのツェルマットを思い起こします。内部は絨毯ひきで、日本と同じ土足禁止、ただ日本と比べて、一つの部屋の広さが格段に広かったのが羨ましいところでした。

 スタリ・モストは石造りのアーチ橋ですが、アーチ造りは支える両端がしっかりしていれば、支えるための構造物を作らなくても自分の重みで崩れないという優れた特性があるようです。ただ、両端には突っ張るための外向きの力が加わり、アーチ式のダムは、川の両岸がよほど頑丈な岩盤である必要があるとのことです。また、ゴシック建築の教会の屋根は側壁を外に押しやり崩してしまう恐れがあるので、壁の外に飛び梁を作って支えています。ゴシック教会ができた頃の強度は経験則から割り出していたのでしょうが、現在の大型コンピュータの需要のかなりの部分は建築分野の強度計算に使われているようです。かつては、建築現場での、計算チェックには計算尺が使われていたのではないかと思いますが、科学博物館の計算機の展示ケースの計算尺を知る人はほとんど居なくなりました。