世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

渋沢栄一でもネギでもない深谷にも、なかなか味わい深い町並みが残されています

2019-10-13 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は新一万円札の肖像になる渋沢栄一の故郷の深谷で、彼のゆかりの施設を紹介しました。深谷は、渋沢栄一関連施設だけでなく、かつての中山道の宿場町であった名残の古い町並みを残しています。今回は、渋沢栄一でも深谷ネギでもない、深谷を紹介します。


 JR高崎線で深谷駅に降り立つと奇妙な駅舎にびっくりします。この建物どこかで見たぞ!?そう、深谷産の煉瓦を使って建てられた東京駅に似せた建物でミニ東京駅なんですが、こちらの建物はコンクリート製です。さらに、東京駅の駅舎が線路と平行に広がっているのに対して、深谷駅では線路と直角に広がっています。開始早々、渋沢栄一の立ち上げた煉瓦産業の話で、なかなか彼から離れられません。

 
 さて、深谷の町並みですが、渋沢関連施設が駅から北に3~4kmほど離れていますが、町並みは同じ北側の300m~400mほどをJRと平行に走る中山道との間に広がっています。駅の北東1kmほど、中山道に面して県立深谷商業高校があり、広い校庭の西南に大正11年に建てられた旧校舎が記念館として健在です。白とミント・グリーン(筆者が訪問の時には白とレンガ色でした)の下見板張り、中央に塔屋を持つ木造2階建ての登録文化財指定の校舎はなかなか綺麗です。ただ、内部の見学は日曜日のみのようです。高校の南200mほどの所には、こちらも有形文化財に指定されている大谷家住宅があります。現在も使われている現役の住宅ですが、昭和初期の和洋館で、洋館はユーゲント・シュティール(アールヌーボー)様式で建てられていてなかなか素敵ですが、個人宅ゆえ塀の外から眺めるだけです。

 
 
 
 
 大谷家住宅の南を東西に走る県道沿いに、土蔵造りや格子の美しい古い商家が散在しています。中には、深谷故なのか妻面がレンガ造りの家もあります。また、上部は土蔵造り、基部は煉瓦という土蔵もありました。煉瓦造りの煙突がそびえるのは地酒の菊水の醸造元である瀧澤酒造です。

 煉瓦が建築材料として使わら始めたのは、紀元前4,000年頃からで、メソポタミア文明の地で、乾燥させただけの日干し煉瓦でした。この日干し煉瓦は、アフリカ諸国などで現在も使い続けられていますが、雨の少ない土地ゆえに建築材料として成り立ったのでしょう。現在使われているような粘土を高温で焼きしめて作られる焼成煉瓦もメソポタミアで紀元前3,000年ころから使われ始め、内部には日干しを、外壁には焼成煉瓦をと使い分けられていたそうです。この焼成煉瓦を焼くための薪を得るために周辺の森林が乱伐されてメソポタミア文明が滅びてしまったという説もあるほど、煉瓦は盛んに作られたようです。煉瓦は一種の陶器で、焼いて固まるのはケイ酸がアルミなどと化合してガラス化するためですが、ケイ酸(シリコン)と言えば、現在のITを支える半導体の材料の大部分は純度の高いシリコンです。ITのためにシリコンを使いすぎて現在の文明が滅びてしまわないことを願いますね。