世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

聖徳太子が通ったであろう竹ノ内街道の近くには太子が眠る廟もあります

2018-12-09 08:00:00 | 日本の町並み
 四国を代表するというより日本を代表する温泉の一つと言ってよい温泉が道後温泉でした。かの聖徳太子も入浴したという逸話が残りますが、飛鳥から道後まで往復するのは交通手段が脆弱だった時代に大変であったでしょう。おそらく、飛鳥から難波津に出て船で瀬戸内海を渡ったのではないかと思います。当時、飛鳥から難波に抜ける街道の一つが竹ノ内街道で、現在も旧街道の面影が残されており、街道の途中の太子町には聖徳太子の廟もあります。今回は、竹ノ内街道の大坂側と太子町界隈を紹介します。

 竹ノ内街道は7世紀に難波と京(飛鳥)を結ぶ官道として整備され、奈良葛城市の長尾神社から大阪府堺市まで26km余りの街道です。このうち、奈良側の当麻寺南の竹内から大坂側の古市あたりまでに古い街並みが残っています。今回紹介するのは、竹内峠を西に越えた太子町の孝徳天皇陵あたりから西北西に羽曳野市の駒が谷あたりまでの竹ノ内街道と、孝徳天皇陵から西に太子町の太子廟のある叡福寺までを取り上げます。

 
 
 
 スタートの孝徳天皇陵は旧街道から北に坂道を上がったところにある小さな円墳です。地味な陵墓は、孝徳天皇が、大化の改新で中心的役割を果たした中大兄皇子と反りが合わなく、不遇のうちに亡くなったことを象徴しているのでしょうか。陵墓の入口と反対側には古民家の旧山本家の大きな茅葺の屋根の大和づくりの母屋が旧街道より一段下がって見下ろせます。ここから西へ旧街道が国道166号と交差する六枚橋あたりまで街道が右に左に蛇行する街道沿いに板壁に白壁の土蔵造りの町並みが続いています。

 
 
 六枚橋あたりから近鉄の駒が谷あたりまでは、新しい街並みに飲み込まれてしまった感がありますが、駒が谷駅の手前の500mほどの区間には、国道166号の北を通る旧街道沿いに再び古い街並みが出現します。こちらは、駅にも近いせいか、竹ノ内街道と書かれた灯篭や竹ノ内街道の地図が描かれた看板が目立ちます。

 
 一方、六枚橋の東の太子町項番前から国道166号を外れて県道を西南西に500mほど、右折して200mほど北に行くと左手に用明天皇陵の方墳が見えます。こちらは、孝徳天皇陵より60年ほど古く陵墓の辺の長さが60mと随分と大きな陵墓です。

 
 
 
 さらに北に、六枚橋から西に延びるバス道に突き当たって、このバス道を西に300mほど行くと、道路の北に叡福寺の門が見えます。道路から石段を上がると山門で、境内は100m四方ほどで、多宝塔、金堂、聖霊殿などの建物が並びます。聖霊殿を通り過ぎて突き当りの石段を上ると聖徳太子の墓で、直径50m、高さ10mほどの円墳です。石室には太子本人と太子の母君、妃の3人の管が収められているそうです。

 今回紹介をしたあたりは「近つ飛鳥」と呼ばれる土地で、古事記に「遠つ飛鳥」と共に記述があるそうです。現在では知る人も少なくなり、明日香村あたりの遠つ飛鳥が飛鳥の地名としてポピューラーになっています。古代人が撮ったであろう竹ノ内街道も、現在では、ほとんど人と逢わない田舎道になってしまっています。都の位置が変わったり、交通の手段が変わったりという外的要因で街道に流行り廃れが生じたのでしょう。ITの分野でも、色んな要因で流行があるようで、少し前までもてはやされた「ファジー家電」は、言葉すら知らない人の方が増えたかもしれません。現在もてはやされているAIもいつまでもつことやら。