世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

弘前城の城下町には、古い町並みではなくレトロな洋館が数多く残されていました

2015-09-13 08:00:00 | 日本の町並み
 神戸の西のはずれの海岸近くに、和洋中の建物が残っているのが舞子でした。中の建物は孫文ゆかりの移情閣ですが、この建物の中の壁には金唐革紙が張られています。この金唐革紙の壁紙で有名なのは湯島近くにある旧岩崎邸で、こちらは大規模に復元されたものです。復元品が多くある中で旧製品が残されているのは、先の移情閣の一部、国会議事堂、砺波郷土資料館それに弘前の青森銀行記念館の4箇所のみです。



この青森銀行記念館は、旧第五十九銀行本店本館を保存して資料館としたもので、弘前城の南東側にあり国の重要文化財です。こちらの唐紙は壁に貼られたものではなく、天井に張られ、注意をしていないと見落としてしまいます。今回は、この青森銀行記念館のある弘前を紹介します。

 弘前は青森の南西50kmほどの都市で、城下町として青森市より歴史の古い町で、国立大学も弘前にあります。重文の天守閣が残る弘前城公園を中心に、落ち着いた文教都市の町並みが広がります。筆者が三度目の訪問をしたのは、ちょうど桜祭りの時でした。多くの観光客が町中に溢れて、観光バスも走り回っていましたが、それでも弘前公園を中心とした桜は見事でしたし、公園内の枝垂桜の夜桜の姿は幻想的というか、霊の感じさえ受けました。



 この弘前には意外と古民家は少なく、むしろ青森銀行資料館をはじめ、レトロな洋館が目立ちます。古民家は、お城の北側に重伝建地区に指定されている一角がありますが、かなり見劣りの感が否めません。複数の屋敷が内部を公開していますが、一部を除いて生活実感が乏しく、古民家なら何でもいいだろうといった感じをうけます。重伝建地区の近くには「ねぷた村」があり、観光客向けそのものですが、ねぷたの展示に加えて、津軽三味線の演奏もあり、むしろこちらの方が熱いです。

 さきほどの青森銀行記念館の近く、お城の南から東にかけて多くのレトロな洋館が集中しています。その建物群に混じって、ル・コルビュジェの弟子で日本を代表する建築家の前川國男設計の市役所の建物がレトロではなく、近代的な姿で建っています。弘前には、市庁舎以外にもフランスから帰国後に最初の仕事となった木村産業研究所や中央高校講堂、博物館、市民会館など数多くの前川作品が残されています。これは、母方の祖先が津軽藩の出身で、津軽藩ゆかりの人々とのつながりが強かったためだそうです。

 
 
 さて、レトロな洋館ですが、市役所の西隣には旧第八師団長官舎があり、現在はスタバの店舗として使われています。さらに、西に行くと藤田記念公園があり、こちらの洋館には、おしゃれなステンドグラスがはめられています。この藤田公園を南に行き、途中から参道を西に突き当たると長勝寺で、こちらはレトロな洋館ではありませんが、参道の途中にあるサザエ堂が面白い建築です。サザエ堂は会津に本格的なものがあって、二重螺旋の階段を上り下りができますが、こちらのものは規模も小さく内部には入れませんが、外部から雰囲気を感じ取れます。



 次に、市役所から東隣に、旧弘前市図書館の建物があります。円筒形部分を長方形の渡りでつないだ三階建ての建物で、かわい~といった感じで、屋根瓦の赤色は当初のものなのでしょうか。内部は、図書館関連の資料室になっています。この旧図書館の東隣は旧東奥義塾外人教師館のたてもので、こちらは下見板張り二階建ての典型的なレトロ洋館です。こちらも、東奥義塾の外人教師関連の資料の展示がなされていました。建物の南側にある庭には、弘前市にある洋館のミニチュア模型が置かれて、その数の多さに驚かされます。


 お城の東側には、南端に先ほどの青森銀行記念館があり、その北側には通常の町並みが続き、北辺の重伝建地区につながります。この町並みの中にもレトロナ教会が点在します。日本基督教団弘前教会とカトリック弘前教会ですが、日本基督教団弘前教会の方は工事中で写真が撮れませんでした。カトリック弘前教会のとんがり屋根とステンドグラスを紹介しておきます。お城からは少し離れますが、これら以外にも洋館が保存されていて、洋館だけ見ても一日では廻れないかもしれません。

 レトロな洋館は、西欧の建物の絵や写真を参考にして、日本人の大工さんが既存の技術を使って見よう見真似で作られたものが多いようです。外観は似ていても、部分的には日本独自の意匠が取り入れられていることも珍しくなく、洋館の瓦屋根や入り口の上の唐破風はよく見かけます。これら外観を似せて作ることは、困難はあってもできたでしょうが、内部に隠れた構造的な部分は簡単ではなかったと思います。ましてや、構造上のノウハウを取得できたとは思えず、場合によっては構造欠陥のある建物もあるかもしれません。この、ノウハウは文書に残されないことが普通で、昔で言えば、師匠に着いて盗み出す技術の範疇かもしれません。かつてコンピュータの制御プログラムの設計をしている頃に、外部とのインタフェースを整えるために組み込んだ部分がありました。その部分には、ある程度のコメントを入れましたが、後で見ると不要にも見える部分で、不用意に削除されないか心配になったことがあります。最新の技術も、文書に残せないノウハウの重みの上に支えられているのかもしれません。