世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

義経弁慶も渡ったという如意の渡しのそばには米の流通拠点であった吉久の商家の家並みが残ります

2014-06-08 08:00:00 | 日本の町並み
 東海道線の開業を早めるために、琵琶湖を船で渡るという手段が使われたのは鉄道黎明期のころで、連絡線は長浜から大津までを結んでいました。長浜に残る日本一ふるい駅舎はその名残で鉄道記念物に指定されていました。連絡船は海底トンネルができたために廃止になった関門海峡や津軽海峡のほか、橋ができたために廃止となった宇高連絡線がありますが、同じように2本の橋ができたために、小さな連絡船が廃止になったのが如意の渡しです。義経と弁慶も利用したという伝統の渡しも、お客の減少には勝てなかったようです。今回は、2009年まで小矢部川河口に存在した如意の渡しの右岸の乗り場の近くの吉久の町並みを紹介します。

 
 如意の渡しは、富山県の日本海に面した、高岡市伏木と射水市六渡寺との間の300mほどの小矢部川河口を運行していました。高岡市側の乗り場のそばには義経と弁慶との像も建っていました。しかし、1974年に渡しの上流1kmほどの所に伏木港大橋が開通して乗客が減少し、2009年に渡しと同じ位置に伏木万葉大橋が開通をして止めを刺されました。

 
 
 今回紹介する吉久の町並みは、如意の渡しを射水側で降りて、単線の万葉線に沿って2駅ほど南に行ったあたりです。江戸時代には、小矢部川と庄川の舟運を利用した米を中心とする物量の拠点として商家の町が形成されました。万葉線の吉久と新吉久の間に、板壁や漆喰壁に格子を連ねた家並みが、微妙にカーブをする道の両側に連なっています。カーブをする道路沿いの町並みは、いつも感じることですが、カーブの先にどんな町並みが続いているんだろうという期待を持たせます。ただ、この吉久の町並みは、6年ほど前の訪問でしたが、過疎化のためなのでしょうか眠ったような感じを受けました。

 とこで、そばを走っている万葉線ですが、高岡駅と越ノ潟とを結ぶ第3セクターの路面電車です。現在は営業キロ数が13kmほどの小さな路線ですが、かつては現在の越ノ潟から海岸沿いに東進をして富山駅まで伸びる路線長が30kmほどにもなる私鉄でした。ところが、富山新港の築港のため、越ノ潟と堀岡が開削されて、線路が東西に分断されてしまいました。しばらくは、開削部分をフェリーで結んでいましたが、乗客の減少のため1980年に富山駅側の路線共々廃止となりました。残った高岡駅側も乗客減少は同じでしたが、地元の津用要望もあって3セクとして生き残りました。さすがに営業収支は赤字ですが、がんばっている3セクとして真っ赤なLRTが人気を呼んでいます。どうも、万葉線は連絡船の廃止に縁のある路線のようです。

 如意の渡しも万葉線のフェリーも人と自転車程度を乗せるだけでしたが、かつての青函や宇高連絡線はデッキにレールが敷かれて列車ごと運んで(航送)いました。現在でもドイツとデンマークとを結ぶ渡り鳥ラインでは、旅客列車を航送することで人気があります。船のデッキにギリギリまで詰めて乗せるそうですが、車の輸出用の船ではもっとギリギリの積み込みが行われているようです。レールがあり1次元の列車とちがって、2次元方向に他の車との接触を回避するのは、専門のドライバの腕なのだそうです。最近の車は、センサーとコンピュータとの連携で衝突防止のシステムを搭載するものが増えましたが、車の積み込みシーンでは役に立ちそうにありません。日本中で毎日12人もの交通事故による死亡者がゼロになるのはまだまだ先のようです。