世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

返還後の香港は混沌とした魅力が薄れたような感じもします(中国)

2012-12-16 08:00:00 | 世界の町並み
 城壁の再建で町の地図が様変わりしている都市が中国の大同でした。大同には中国でも北京以外では唯一の九龍壁が残されています。中国では九は久と同じ発音のため、縁起の良い数字とされていて、香港の半島側は九龍半島の地名が付いています。今回は、中国返還前の訪問を合わせて九龍以外にも、香港島や新開を含めて紹介します。

 香港は1842年から1997年に中国に返還されるまで約150年間にわたりイギリスの植民地でした。広さは札幌市程度で、東京23区とほぼ同じくらいの人が住んでいます。観光客が多い地区は香港島と九龍半島の突端部分で、この間は車と地下鉄、高速鉄道の海底トンネル、それにフェリーが結んでします。便利さからは海底トンネルですが、海を渡る実感が無いので、時間がかかり不便なスター・フェリーも根強い人気があるようです。スター・フェリーから眺める陸上のビルが林立する風景も、海底トンネルからでは味わえませんから。

 
 
 まずは、香港島ですが、ここには、おそら世界でここにしかない乗り物が走っています。2階建ての路面電車で、2回の最前列に陣取ると、なかなか迫力のある景色が楽しめます。2階建てのバスも、香港島を含めて走り回っていますが、これはかつての宗主国のロンドン・バスの影響でしょうか。香港島と九龍半島を眺めるのは背後のヴィクトリア・ピークがピーク・トラム呼ばれるケーブルカーがあって簡単に登れ便利です。ところが、この丘に上るバス路線もあってダブルデッカーがヘヤピンカーブをかなりのスピードで通過していきます。2階の最前列は、かなりスリルがあります。

 九龍半島側はネーザンロードを中心に、ショッピング客であふれています。フェリ-から見える時計台は、かつての鉄道駅のシンボルでしたが、香港と広州とを結ぶ現在の鉄道駅は、もう少し内陸側に引っ込んでいます。

 かつて、九龍半島の西の茘枝角に宋城というテーマパークがありました。日本人の観光客はあまり訪れないようでしたが、宋時代を模した町並みがあって、劇などもやっていました。














 映画村のような雰囲気で、結構楽しい場所でしたが、中国返還の頃に消滅したようです。さらに、香港カーブで有名だった啓徳国際空港も閉鎖されてランタオ島に引っ越してしまいました。空港が遠くなって移動の時間も費用も高くなりました。そういえば、日本からのパッケージツアーの定番訪問地だった香港島のタイガー・バウム・ガーデンも消滅してしまったようです。

 
         
 返還後に消滅したといえば、東洋とも西洋とも言われぬ混沌さも希薄になったように思います。香港ドルは残りましたが、物価は上がったように思います。いっそうのこと、昔の香港の生活を垣間見ようとするなら新開にある村々を訪ねるのが良いといわれています。石塀や石壁が続く路地の奥にお寺があったり、逆に構想住宅に囲まれた多角形の石造りの塔があったりします。これは返還前でしたが、路地の奥で子供たちが、大きな麻雀パイで遊んでいたのにびっくりしました。

 新開は、九龍などのベッドタウンが田園の中に散在している感じで、バスで訪れると、突然に大都会が現れます。こんなところに!といった感じでLRTが走っていてびっくりします。通常観光客が訪れる香港は、店舗ばかりで、なにか生活臭がしませんが、新開にある都会は、中国のどこにでもある地方都市といった様相です。香港島の南側にも、丘の上の豪華ホテルから街中に下りると、肉屋に豚の頭がぶら下がっていたり、生きた鶏が売られていたりで、生活臭そのものです。

 かつての啓徳空港は、陸側から着陸する飛行機は、中国の境界や背後の山などの影響から、着陸寸前に180度近い急激なカーブを強いられていました。着陸寸前まで滑走路が見えないという、パイロット中瀬の空港でしたが、逆に、これが腕の見せ所と、好きな空港の一つに上げているパイロットもいたそうです。進路上の丘の上には赤色に点滅するマーカーが設置されていましたが、区別を容易にするため香港のネオンは点滅を禁じられていたそうです。現在の航空機は、INSやGPSなどとコンピュータによる自動制御が進んで、地上のILSなどの支援設備さえ整備された空港では、パイロットが手を触れなくても着陸可能になってきています。ただ、最終的に安全を確保するのはパイロットの腕で、そのためにシミュレータなどによる訓練が必要のようです。ただ、乗っていいるほうは、あまりパイロットの腕が発揮される状況には遭遇したくありませんが。