世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ハプスブルグ帝国の首都であったウィーンは音楽、美術、いろんなものがてんこ盛りです(オーストリア)

2009-10-18 08:00:00 | 世界遺産
 緑とお寺の中に町があるようなところがライスのルアンプラバンでしたが、町中に音楽や美術の芸術の殿堂が溢れて居る都市がウィーンではないでしょうか。かつてのハプスブルグ家の繁栄の華やかさを残すオーストリアの首都を紹介します。

 旧ソ連が存在した頃の鉄のカーテンが、大きく東に湾曲していた部分がオーストリアで、首都のウィーンは当時のチェコ・スロバキアとの国境まで30kmほどの、西欧世界の東のはずれのようなところでした。初めてウィーンを訪れたときは、いまだソ連が存在し、当時の東欧圏には簡単には行けない時でした。ちょっと東に行けばチェコやハンガリーなんだけれど、遠いなーと感じたものでした。これだけ、東欧圏に楔のように張り出したウィーンですから、スパイの暗躍の場になったそうで、これは現在までも続いているとも言われています。007ではオーストリアの南の旧ユーゴスラビアなどバルカン半島あたりがよく出てきたように思いますが、物語ではなく本当のスパイが活躍する舞台がウィーンだったのでしょうか。

 さて、ウィーンの音楽ですが、世界的に有名なオーケストラの中でもトップクラスのウィーンフィルはあまりにも有名ですが、この楽団の母体はウィーン国立歌劇場管弦楽団といういかめしい名称のオーケストラです。

ウィーン歌劇場でオペラの伴奏をするのが本来の仕事で、その中の有志が組織し歌劇場での伴奏以外で演奏するのがウィーンフィルなのです。片手間のようなオーケストラのように聞こえますが、ウィーン楽友協会大ホールを本拠にした活躍は、片手間などと失礼なことは言えません。これだけ有名なオーケストラですから、いろいろな逸話が残っています。最も有名なものの一つは、20世紀の終わり頃までは、楽員はオーストリア人の男性に限られたことで、ハープも男性が弾いていました。さすがに批判も多く1997年に女性のハープ奏者が入団し、徐々に女性奏者が増えているようです。

 続いて美術については、美術史美術館のすごさに感動してしまいます。

もちろん、ルーブルのコレクションの幅広さや物量には及ばないでしょうが、ハプスブルグ帝国の版図の隅々から集めまくった美術品はとてつもないものです。美術の教科書に載っているようなビューゲル、ラファエロ、ベラスケスなどの絵に加えて、フェルメールの作品もありますが、訪問したときにはフェルメールの認識が低くってあまり記憶に無いのが残念です。一方変わったところでは、セセッションです。

19世紀末にクリムトを中心に興った分離派の作品の発表の場として作られたもので、屋根のてっぺんに金色の葱坊主が強烈な印象を与えます。この金色の球形、実はオリーブの葉の集合体を模ったものですが、日本人の目から見ると、どうしても葱坊主なのですね。中には、クリムトの描くベートーベンフリーズがあります。

 劇場や美術館だけがウィーンではありません、シュテファン大聖堂やハプスブルグ家の王宮として使われたホーフブルク宮殿
 
それに地下鉄の駅などなど、これでもかと言わんばかりに町中に興味ある建物が溢れています。公園に行くと、数多くの作曲家の記念碑が花々に囲まれています。繁華街のビルの壁面に描かれた壁画も面白いんです。

ただ、これらは町の風景の中に溶け込み、日常の一部になってしまっている感じです。他の都市ならば、この中の一つがあっただけでも観光施設になっているかもしれません。

 ハプスブルグ家は、戦争は他国に任せておいて、婚姻によって版図を広げていったことで有名です。いわゆる政略結婚なのですが、その割には、嫁ぎ先との仲は良かったようで、陰湿な感じはしないようです。婚姻は結果であって、実際は外交手腕に長けていたのではないかと思います。平和のためと称して軍艦に給油をして戦争の片棒を担がされそうになっていた国は、もっとハプスブルグ家を見習う必要があるのではないでしょうか。もちろん、政略結婚は無理でしょうから、得意のIT分野でインフラの整備をするなど貧富の差をなくして、テロを起こす原因を取り除く支援をするべきでしょう。