世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

標準時の子午線は南北に旧西国街道は東西に通り、魚の棚にはたくさんの買い物客が通る明石

2009-06-07 14:06:09 | 日本の町並み
 金沢の台所の近江町市場はカニやえびなどの海産物のお土産調達場所として有名ですが、鯛や蛸それに最近では釘煮が注目されている市場が明石駅の南にある魚の棚(うおんたな)です。

また、卵ベースのたこ焼きを、出汁につけて食べる明石焼きでも有名になりました。今回は、日本の標準時の子午線が通る町でもある明石のなかで、旧西国街道沿いの古い町並みが残る周辺を紹介します。

 明石は神戸市の西に隣接し、神戸市に飲み込まれそうな感じもしますが、子午線の町として、源氏物語の明石の舞台、また松平氏の城下町としてのアイデンティティを持つ都市のように思います。明石城は天守は築かれなかったのですが、駅のホームからも望める2つの櫓が重文になっています。ただし、明石海峡大橋の本州側の起点は明石市には無く神戸市垂水区になります。

 さて、旧西国街道ですが江戸時代における山陽道の呼び名で京都から下関に至る街道です。この7番目の宿が明石市の大蔵谷で、山陽電車の人丸前駅の南から大蔵谷駅の南を通り朝霧川に至る部分に昔の街道の雰囲気が少し残っています。格子をはめた家が少しばかり残っているのですが、

ほとんどの家並みは新しいものになってしまっているようです。街道跡の西よりには、「大日本中央標準子午線通過地識標」の石柱が立っています。

石柱の文字は仰々しいのですが、公権力の手ではなく、明石郡内小学校の教員の方々が費用負担をして立てたのだそうです。この石柱から海岸方向に行くと、寺院風の大きな唐破風を持つ建物が中崎公会堂です。

1911年に作られた公会堂で、こけら落としの時には夏目漱石を招いて記念公演をやったそうです。現在でも現役で使われていて、内部ではダンスの講習をやっていたようです。

 中崎公会堂とは逆に北に行くと、稲爪神社があります。稲爪とは奇妙な名前ですが、元々は稲妻であったものが変化したそうです。明石は異国からの来襲の通り道になることが多く、6世紀の推古朝に朝鮮半島からの来襲を大山祇神社に祈り、撃退できたことを感謝して作られたのがこの神社だそうです。

大山祇神がお告げのために稲妻と共に現れたので稲妻神社と称したとか。
 稲爪神社を明石駅に至る高架に沿って西に、行き山陽電車の人丸前駅のすぐそばの駐車場の片隅のようなところにあるのが、腕塚神社です。源平合戦の頃、平清盛の弟で一の谷を守っていた総大将の平忠度の右腕が祭られていると言われています。

源氏の武将との戦いで右腕を切り落とされ討ち取られたそうで、その右腕を個々に祭ったということです。ただ、神戸市の長田区の駒が林にも腕塚があり事実関係ははっきりしません。

 明石を通る日本標準時の子午線ですが、この子午線の南中時刻を正午としたものが日本の標準時です。地球の自転速度が不変であることを前提にして決められた時刻ですが、時計の精度が向上するに従い、変動があることが分かってきました。現在では、情報通信研究機構の原子時計で生成される時刻が標準時として使われています。10-15を越える精度があるそうですが、精密な測定などにはふらつく地球の自転を基にした時刻では間に合わなくなってきたそうです。不安定な地球の自転に合わせるために編み出されたものが、時おり行われる閏秒の挿入です。これまで不変だと思われていた物理現象が変化するのですから、世の中の価値観が変化するのは当然のことなのでしょう。