世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

あのシュリーマンは出土品を母国に持ち帰ったためにトロイのあるトルコでは泥棒呼ばわりです(トルコ)

2009-04-12 23:21:50 | 世界遺産
 万里の長城は、北京から2000km以上も離れた西の嘉峪関までも伸びていて、北方からの脅威に備えていましたが、堅固な城壁に守られながら、敵の策略によって敵兵を城内に入れてしまって負けて閉まった都市がトロイです。シュリーマンが発掘して、彼がトロイの遺構だと信じた遺跡は、どうもトロイ遺跡ではないらしいというのがこのところの通説ですが、シュリーマンの熱意に応えた形で、この遺跡は世界遺産に登録されています。今回は、トロイの木馬のレプリカも置かれている、トロイの考古学遺跡を紹介します。

 トロイの遺跡は、トルコのアジア側、東北から南西に伸びるダーダネルス海峡の出口あたりに位置します。この遺跡は、皆さんよくご存知のシュリーマンが、ホメロスの叙事詩に描かれたことが事実であることを証明するために発掘したものです。彼は、トロイが神話の想像上の都市ではないことが証明されたと、鼻高々でしたが、その後の考古学の検証から、必ずしも彼のやったことは正しかったとは言い切れない部分が多いようです。トルコ人にとって最も嫌われていることは、出土品のうち目ぼしい物はすべてドイツに持ち帰ってしまったことです。極端な表現をすれば、勝手に他国の土地を掘り返して、略奪して行ったわけですから、評判がよいはずがありません。

 トロイの木馬の話が本当にあったのかどうかは、肝心の地層がシュリーマンの無知から傷つけられてしまって、検証のしようが無いそうです。ただ、遺跡のそばには木馬のレプリカ、いや本物があったかどうか不明なので、レプリカといえるかどうか解りませんが、木馬の模型が建っています。中には階段があって3層程度になっていたように思いますが、最上階は展望台風で眺めが良かったように思います。もし、トロイの木馬が現実に存在したとすれば大きさはこんなものだったのでしょうか?都市を滅ぼすだけの大勢の兵隊が入っていたわけでしょうから。ただ、木馬の中の兵士は城門を開ける役割だけで、戦闘に参加した大部分の兵士は、外から入ってきたのでしょうが。

 遺跡の方はというと、トルコの他の遺跡と同様に、痛々しい感じがします。シュリーマンが手当たり次第に掘ったままに、放置されたという感じがします。トルコはよく文明の十字路といわれ、国中が遺跡だらけの様相です。トルコ旅行では、たくさんの遺跡を見て廻るのですが、元の建物などの形を想像できる遺跡は少ないようです。保存や調査のための予算が十分に付かないのか、遺跡というより瓦礫の山という感じのものが多いように思います。なんとももったいない感じがします。

 トロイの遺跡の最寄の都市は、チャナッカレというところで、観光ツアーではこちらに宿泊することが多いようです。狭い海峡を挟んで海の向こうはヨーロッパ側で、フェリーで簡単に渡れます。ところが、このフェリーには多くの物売りが乗ってきます。観光バスなどで観光地に到着すると、お土産売りがワーッと集まってきますが、観光地への移動までの短時間が勝負で、通常は売りこの方が不利な場合が多いようですが、フェリーでの状況はちょっと違ってきます。狭い船の中ですから、観光客も逃げ場が無い状態で、つかまってしまうと何か買わされる羽目になるようです。トルコはアジアとヨーロッパに跨っていて、旅行中にこの間を行ったり来たりします。ただ、どちらがどうと町の様子が変わったと言う実感はありませんが、気持ちだけはずいぶんと移動した気分にはなるようです。

 トロイの木馬と聞くと、IT分野の人にとってはネガティブなイメージを受けます。インターネットを通じで悪さをするワームのカテゴリーの中にトロイの木馬型というのがあるからです。トロイ戦争の木馬と同様に、害を与えるとは見せかけないで進入し、時間がたつとデータを壊したり盗み出したり、はたまた他人がコンピュータを乗っ取るための入り口となるようなものです。なんとも、厄介な代物ですが、よくぞ名づけたとも思います。コンピュータ分野のトロイの木馬も、防御の仕組みが確立して、将来はホメロスの叙事詩のようにお話の世界だけに登場する過去の遺物になって欲しいものです。