世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

秦の始皇帝も入浴したといわれる温泉も近くにある兵馬俑(中国)

2008-10-19 16:11:35 | 世界遺産
 その地名のとおり、ローマ時代に栄えたイギリスの温泉地がバースでしたが、三千年の歴史のある温泉が中国の西安郊外にある華清池です。秦の始皇帝も入浴したという温泉地には、唐時代に玄宗皇帝によって宮殿が建てられ、楊貴妃と共に毎冬をすごしたところといわれています。この温泉地からさらに東に行くと、始皇帝陵と兵馬俑があります。今回は、今から30年ほど前に世紀の発見として世界を驚かせた兵馬俑を華清池付近をも含めて紹介します。

 華清池は、西安の東30kmほどの場所にあって、池を中心としてかつての宮殿の遺構があります。

玄宗皇帝や楊貴妃が入浴したというお風呂の跡もありますが、屋内プールと小さなくぼ地にしか見えません。ただ、温泉は現在でも湧出していて、足湯の施設もあります。この宮殿施設は代々の権力者にも利用されたようで、現代の中国史にも西安事件の起こった場所として登場します。日華事変の前夜の中国は、蒋介石の国民政府軍と毛沢東の共産軍とが内戦を行っていました。西安事件は、戦線の視察で西安を訪れ華清宮に滞在していた蒋介石が、部下の張学良に撃たれるという事件で、その後の抗日民族統一戦線へと進むきっかけとなりました。

 さて、世界遺産の始皇帝陵と兵馬俑はさらに東に走ったところにあります。始皇帝陵のほうは、小高い丘といった感じで車窓から眺めただけで詳細は紹介できませんが、その地下には巨大な宮殿が存在するであろうといわれています。ただ、現在のところ、発掘調査は困難で当分の間は、想像するしかないようです。その想像上の地下宮を作ってしまったものが秦陵地宮で、ディズニーランドと同じレプリカの遊園地です。

いや、こちらは本物がまだ発見されてはいないので、レプリカとはいえないかもしれません。

 寄り道をしましたが、いよいよの兵馬俑です。田んぼの中で発見されたというだけあって、周りは何も無い原っぱの中に、ゲートが現れます。このゲートから兵馬俑の1~3号坑まではかなりの距離があって、ちゃっかりと有料のトラムが走っています。馬や兵隊が並ぶ俑坑の他に、始皇帝陵近くで発見された銅馬車を展示する秦銅車馬陳列館があり、この馬車の作りも見事です。

実物の1/2の縮尺で作られているとのことですが、車を引く馬も乗っている人物も生き生きしています。

 俑坑は1号抗がもっとも大きく、保護のために作られたドームは体育館か格納庫のようです。

いや、それ以上に巨大かもしれません、210mかける60mもあるのですから。数え切れない兵隊と馬の人形が並んでいて、表情が全部異なるというか、モデルとなった人物そっくりとのことですが、大変な労力をかけて作られたことだけは間違いなさそうです。

まだまだ、発掘調査の最中のようで、未整理状態のような人形もたくさん転がっているといった風です。2号抗3号抗は、1号抗を見た後に訪れた目には、小ぶりで、人形の数も少ないのですが、小ぶりな分だけ近くに見られるといったメリットがあります。

時間の都合なのか、こちらまで見に来る人は少ないようにも思いますが、もったいないように思います。調査が進むと、4号抗や5号抗というのも出現するのかもしれません。

 兵馬俑の兵隊は、殉死の変わりに作られたわけですから、実際の兵隊もこの人形と同数以上居たことになります。1㎡に1体以上の人形が並べられているように見えますから、おそらく総数は数万体になるのでしょう。こんなに多くの個々の人間をどのようにして認識し、作成済みなどの管理をしたたのかと思います。コンピュータやICタグなんて当時は存在しなかったでしょうから、各自の名前を書き留めていたのでしょうか。そもそも、当時の兵隊個人に名前は付いていたのでしょうか。限られた、条件の下で問題解決をした、先人の知恵には感心してしまいます。現代の世の中では、何でもコンピュータに頼るきらいがあります。40年ほど前のコンピュータは、まだまだ能力も低く、使用料も高価でした。コンピュータで計算をする前に、概算値を求めたり、1ポイントだけを手計算で計算したりもしました。現在のコンピュータでは、このような過程を踏むのは難しいのかもしれませんが、とんでもない過ちを犯していても気が付かない恐れは大いにありそうです。