世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ロンドンから2時間ほどで、お風呂と美しい石造りの家並みの町バースに着きます(イギリス)

2008-10-05 16:16:53 | 世界遺産
 マテーラの洞窟住居は、黄土色一色でノッペリした印象でしたが、同じように色の石造りの家が並んでいても、暖かく感じの良い風景を作っているのがイギリスのコッツウォルズです。コッツウォルズの説明の文書では、石の色を蜂蜜色と表現しています。コッツウォルズはかなり広い地域に跨っていますが、その南部のキャッスルクームには、かつての領主の館(マナーハウス)を利用したホテルもあります。このキャッスルクームの近くに、同じような色をした美しい石造りの建物や温泉の遺跡があるのがバースです。今回は、世界遺産のバース市街とあわせてカッスルクームも紹介します。

 ロンドンのパディントン駅からインターシティーなどの列車を使ってバースにいく場合、バースの手前にあるのがチプナム駅で、そこからタクシーで15分くらいのところにキャッスルクームがあります。ロンドンから2時間足らずの距離なので、バースとキャッスルクームを合わせて日帰り件といったところです。チップナムからの道は、起伏の少ない緑の中を走ります。

コッツウォルズ全体が、このような丘陵地帯のようですが、どうもイングランド全体が、起伏の少ない土地のように思います。日本で、列車に乗ると、山が見えないところはほとんど無いように思いますが、イギリスでは、逆に丘程度の起伏しか見当たらないように感じます。よく、日本とイギリスは狭い島国で似ているといわれますが、利用できる土地の広さは圧倒的にイギリスが広いように思います。

 蜂蜜色の建物ですが、思ったよりずっと狭い所に残っているだけで、周りは延々と緑の丘が続いています。中心となるマナーハウスも、同じように蜂蜜色をした石造りで、ツタの緑とのコントラストが美しい建物です。

マテーラとの印象の差はこの緑の有無のようです。マナーハウスに立ち寄ってアフターヌーンティーを楽しみましたが、これが日本人の感覚では半端な量ではありません。3段重ねのトレイにサンドイッチ、スコーン、ケーキのほかに果物もあったように思います。ちょっと早い夕食って分量です。ところで、イギリス人って、サンドイッチというときゅうりを挟むのですが、美味しさが理解できないのは民族差なのでしょうか。

 さて、列車を乗り継いで、本題の世界遺産のバースです。バースの地名は、英語のbathの語源であると誤って伝えられることもありますが、実際は温泉の湧く土地なのでBathという地名になった、といのが本当のようです。温泉の歴史は古く、紀元前からケルト人によって利用されていたそうですが、温泉の保養地として発展したのはローマの支配下になった1世紀頃とされています。ローマのカラカラ浴場やチュニジアにもローマ時代の遺跡として浴場がありましたが、ローマ人ってお風呂好きだったんですね。
 ローマの支配後は、廃れていた温泉も、17~18世紀に温泉保養地として復活し、蜂蜜色の町並みも作られたようです。駅の北のほうにある石造りの橋も周りの建物と調和しているようです。

 ローマ様式の浴場が残されて観光名所になっていますが、入浴はできません。凝った造りの温水プールって感じです。

 駅の正面から1本西の広い道を北北西にたどると、円形の広場に突き当たります。この広場を囲んでThe Circusという建物があります。ロンドンにのピカデリーサーカスには湾曲した壁面を持つ建物がありますが、こちらの建物は、広場への3箇所の出入り口で切れている以外は、完全に円形で広場を囲んでいます。

これだけ完全な円形の建物も珍しいのではないでしょうか。建物の切れ目の道を西に行くと、Royal Crescentがあります。こちらも円形の建物ですが、南側の無い半円状で、このため三日月(Crescent)と呼ばれています。この二つの建物は、なんと親子の建築家が設計したそうで、The Circusが父、Royal Crescentが息子の設計になるそうです。Royal Crescentの端の部屋は博物館になっていて、18世紀に作られた頃の生活様式が再現されています。驚くのは、その部屋以外は現役の住居として使われていることです。木と紙でできた家屋と違い、朽ちてゆかないためでしょうが、古いものを大切にする文化のためでもあるのでしょう。

 このブログのもう一方のテーマで訪ねる日本の町並みの古民家群は、訪ねてみると新しい家並みになっていてガッカリすることも多いものです。現役から外れて、資料館の名前を付された博物館となっていることもあります。博物館になった場合は、建物が残されるので救いがありますが、プレハブ造りの家並みになってしまうと、なにか貴重な財産が失われたような気がします。たしかに、新しい家は一見合理的で、住みやすいようにも思いますが、日本の風土に本当に合っているのか疑問にも思います。日本人は、古いものを大切にする面と、新しいもの好きの面との2面性があるようで、ITをこれまでに発展させたのは、後者の面が影響しているようです。しかし、このところは古いものを大切にするのは、自分の身の回りから距離のある物に向けられるようで、身近なものは新しい物質文明を追い求めているように感じてしまいます。