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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

もともと保守とは無縁な小沢一郎や小林節を嗤う!

2015年06月21日 | 思想家

小沢一郎やその腰巾着である小林節が、安保関連法制を違憲だとして論陣を張っている。かつて憲法改正を声高に叫んでいたと思ったらば、今度は護憲派に擦り寄っている。小沢や小林はもともと保守ではないのである。普通の国家にして、アメリカのような自己責任の国にしようとしたのは、日本が遅れているとの認識が前提にあった。日本の歴史や伝統に立脚した国柄とも無縁なのである。小森義峯は『正統憲法復元改正への道標』のなかで、小林が国民主権主義に立脚することを批判している。小林は憲法改正案で「天皇は、日本国の君主にして元首であり」と述べながらも、あくまで「主権の存する日本国民の総意に基く」との条件付きである。その時々の国民の意思によって変更が可能なのである。過去を否定する戦後民主主義そのものではないだろうか。場当たり的な情勢論でしかなく、小沢が山本太郎と組んだりするのすら容認される。本当の保守とは何か。柳田國男は『先祖の話』の序において、日本人にとって家がどれだけ大きな意味を持っているかに言及した。「家の問題は自分の見るところ、死後の計画と関聯し、又霊魂の観念とも深い交渉をもつて居て、国毎にそれぞれの常識の歴史がある。理論は是から何とでも立てられるか知らぬが、民族の年久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を、安んじて追随せしめることが出来ない」。日本固有のものを無視してかかるから、小沢や小林のような混乱が生じるのである。

 

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古ぼけた人民戦線民主かな 10句

2015年06月20日 | 川柳

反対で何でもありの民主党

国護る気概なければ意地もなし

デモよりも対案示せ民主党

マスコミの加勢頼みで強がりを

古ぼけた人民戦線民主かな

保守ならばさっさと離党待ったなし

変節の小林節でオンゴール

団塊の最後の砦民主党

侵略の先棒担ぐ慌て者

脅かすに徴兵制といつもの手

 

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対案を出さず何でも反対の岡田民主党を嗤う!

2015年06月20日 | 政局

安保関連法案について共産党や社民党と共同歩調をとっている民主党は、対案を出す能力は持ち合わせていないようだ。問題点をあぶり出して徹底抗戦をするのだという。我が国の安全保障に関して、野党第一党がそんな無責任なことでいいのだろうか。しかも、安倍政権を攻撃するためには手段を選ばないマスコミと一緒になって、徴兵制の危険性まで口にするようでは、もはや中共の走狗といわれてもしかたがない。荀子に「人生群無き能はず。群して分なければ則ち争う。争へば則ち乱る。乱るれば則ち離る。離るれば則ち弱し。弱ければ物に勝つこと能はず」という言葉がある。前尾繁三郎が『政治家のつれづれ草』で引用していたもので、前尾は「力は牛に若かず、走ることは馬に若かない人間が牛馬を使役するのは群することができるからである。群は義をもって分するから、和することができ、和にして一になるから多力となって。物に勝つことができる」と書いている。中共や北朝鮮が侵略の野望を抱かせないように身構えるには、日本人は「和にして一」になるべきなのである。日本が国家としてまとまらなければ、国を護ることなど不可能なのである。揚げ足取りに終始する岡田民主党の存在は、百害あって一利なしである。安全保障政策でコンセンサスをつくりあげることは、政治の最優先でなければならない。昔の社会党と同じことをやって抵抗政党に徹する今の民主党では、二度と政権に復帰することは難しいだろう。

 

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韓国への気兼ねからパンデミックの危機を報道しない日本のマスコミ!

2015年06月19日 | 医学

民主党政権下であったために、マスコミは福島第一原発事故について真実を報道しなかった。国民が政権批判をすることを恐れたのである。今も拡大中の韓国での中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスに関しても、できるだけ扱いを小さくしようとしている。本当のことを伝えると韓国の印象が悪くなるのを恐れるからだろう。国民の命をどう考えているのだろう。日本と韓国との間は往来が頻繁である。仮に韓国でパンデミックということになれば、水際で阻止することは困難になる。外務省はすぐにでも、渡航の自粛を呼び掛けるべきだ。早期に国境を封鎖することも検討されなければならない。すでに隔離対象の日本人が、韓国側の不手際で日本に帰国しており、日本で感染者が出ても何ら不思議ではない。にもかかわらず、マスコミがまともに取り上げないのは、韓国への配慮があるのは明らかである。佐藤優がラジオで述べていたように、感染者が1000人を突破するかどうかが一つの目安とされる。そこから爆発的に感染者が増えるのであり、その前に万全の策を講じなければならない。まさしくパンデミックの一歩手前だ。日本は国家としても最善をつくさなくてはならない。いくらマスコミが流す情報が楽観論に傾いているとしても、国も国民も振り回されるべきではないだろう。コロナウイルスは未知の感染症を引き起こしている。油断は禁物である。韓国に旅行しなければよかった、とか後悔しないように、私たちも警戒を怠ってはならないのである。日本のマスコミは信じるに値しないのだから。

 

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かつての社会党と変わらない民主党は今の日本に必要なし!

2015年06月18日 | 政局

民主党はもう解党すべきだろう。保守系の人たちは、さっさと党を離れるべきだ。昨日の党首討論を動画で見て、怒りを通り越してあきれてしまった。岡田克也代表の議論は、安倍首相とかみ合わないばかりか、徴兵制まで持ちだすネガティブキャンペーンでしかなかった。かつての社会党と変わりがない。民主党は本当は自民党と大差がないのである。しかし、それを口にすれば、マスコミを味方につけられないと思っている。それで誹謗中傷を繰り返すのだろう。あろうことか憲法審査会に出席した参考人が、自民党の推薦者まで安保関連法案を違憲としたことも、攻撃の材料にしていた。もはや政権を奪還する気がないから、そこまで言えるのだろう。民主党は集団的自衛権の行使容認に付いては、公明党以上に柔軟であったはずだ。お花畑のマスコミの言うがままに、共産党や社民党の統一戦線を組んで、一体どこに向かうつもりなのだろう。日本の保守は日米同盟を基軸としてきた。昭和35年の安保改定でアメリカが日本を防衛することを義務付け、今回の安保関連法案によって、日本を防衛するアメリカの艦船が攻撃された場合に、自衛隊も反撃することを公に表明した。これで困るのは中共や北朝鮮である。日本とアメリカを分断できなくなるからだ。東アジアの国際情勢がどうなっているかで、現実的な対応を考えるのが日本の国益である。民主党は自民党が強行採決をするのを今か今かと待っているのだろう、そうなれば自分たちの出番ができると思っている節がある。世の中はそんな甘くはない。かりに混乱をするようなことになれば、事態の収拾は困難になるからだ。民主党はもはや保守とは無縁なのだから、まともな人間は離党するしかないのである。

 

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集団的自衛権の合憲を主張し岸首相を支えた会津っぽ大平善悟!

2015年06月18日 | 思想家

昭和35年の安保改定にあたっては、岸信介首相は孤立無援を強いられ、連日のように国会は「アンポハンタイ」のデモ隊に取り囲まれた。法律学者の大半は憲法の神学論争に終始して、違憲論が圧倒的であった。しかし、一人だけ合憲を主張し、岸首相を支持したのが会津っぽの国際法学者大平善悟一橋大教授であった。昭和26年3月の読売評論6月号に「日米共同防衛」を執筆し、自らの立場を明確にしていた。昭和34年に世に出した『日本の安全保障と国際法』において、大平は違憲論を「日本を無力化し、孤立化せしめようとするいかなる企図にも耳を貸すわけにはいかない」と批判するとともに、憲法が集団的自衛権の行使を容認していることを、論理的に説明している。「憲法9条は、自衛権を否定していないのであって、さらに自衛権が認められる以上、今日の国際法上の通念からいって、国連憲章第51条で規定する『個別的または集団的自衛の固有の権利』を有するものと見なければならない。私は、集団的自衛権は、個別的自衛権の同時行使だと考える見解をとり〈共通の危険にたいして単独に、または共同して行動することを意味するもの〉とするから、集団的自衛権は、そのままわが憲法の許容するところだと考える」。今になっても法学者の多くは、違憲論から脱却できず、日本を誤った方向に導こうとしている。大平は「冷静に国際環境を分析して、客観的な判断を下し、国家利益から現実的な見通しを立てる」ことの必要性も説いていた。もうそろそろ法律学者もお花畑から脱却すべきなのである。戦後70年も経つわけだから。

 

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命捨てる祖国ありし 5首

2015年06月17日 | 短歌

自衛隊認めぬ者が今さらに命云々こそばゆいかな

安倍さんをぼろくそ貶しかの国の思いの通り何のためやら

マスコミはコロナウイルスふたをして原発事故の二の舞なりし

金と女与野党通じ売国が跳梁跋扈情けなきかな

命捨てる祖国はあると確信す声なき声がネットでつながる

 

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諸国民を信頼して安全と生存を保持することがかえって戦争を招く!

2015年06月17日 | 思想家

安保関連法案をめぐって憲法の神学論争にあけくれているのは、まさしくお花畑である。法を超える力である憲法制定権力は、それこそ革命勢力の専売特許である。それを知ってか知らずか、野党やマスコミがただただ「護憲」を叫ぶ姿は、あまりにも滑稽である。日本が侵略されないという保障があるのなら、教えてほしい。戦後のどさくさにまぎれて、韓国は竹島を武力で侵略した。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との憲法の前文に記されているように、世界の国々を信じたがために、北朝鮮による拉致を防げなかったのである。中共が軍備力を増大させ、何をするか見当がつかない北朝鮮が核を保有するなかで、日本が国家として身構えるのは当然である。そこで重要なのは自衛隊の存在である。今の憲法下でも、葦津珍彦は「なお国民統合の象徴として、万世一系の天皇を仰ぐことを得た。天皇統帥の陸海軍は解体されたが、自衛隊は存在している。国民統合の象徴たる天皇と、自衛隊とは、不自然にも断絶されたままではあるが、それでも自衛隊の存在は、なお日本国民が統合せられたる一国民としての連帯意識を保持していることへの証となり得る」(『土民の言葉ー信頼と忠誠の精神ー』)と書いている。その自衛隊を憲法違反であるとして、口角泡を飛ばして攻撃したのは誰だったろうか。それこそ憲法学者ではなかったろうか。憲法は改正されなくてはならないが、現状でも国家が国民の命と暮らしを守り抜くために、国際法によって認められた集団的自衛権と自衛隊は容認されなくてはならない。迫りくる危機を回避するには、国家として身構えるしかないからだ。

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シュミットの法を破る力を拠り所としたのは冷戦崩壊後の左翼であった!

2015年06月16日 | 思想家

憲法は神聖にして侵すべからざるものなのだろうか。昨今の議論を聞いていると、あまりにもその点が強調され過ぎてはいないだろうか。古賀啓太は『シュミット・ルネッサンスーカールシュミットの概念的思考に則して』(2007年発刊)のなかで「冷戦崩壊後マルクス主義がもはや信じられなくなる中で、左翼の理論家はシュミットの政治・法理論の中に体制批判の理論的拠り所を求めようとした」と書いた。シュミットの思想に「ラディカル・デモクラシーの萌芽を求めようとした」というのだ。何かすると憲法を絶対視しながら、その実は政治的に利用しているだけの日本のサヨクとは大違いである。シュミットは『独裁論』で「憲法制定権力」について定義している。「あらゆる国家的なものの根源的力である人民、国民は、たえず新たな諸機関を制定する。その権力の、かぎりなくとらえがたい深淵からは、国民がいつであれ破ることができ、かつ国民の権力がその中で決して確定的に限定されてしまうことのない諸形態が、絶えず新たに生まれてくる。国民がどんな好き勝手をなことを欲しようとも、その意欲の内容は常に、憲法の内容と同一の価値を持つ」。とくにアントニオ・ネグりのような思想家は、古賀によれば「≪構成的権力≫の革命的・創造的発動が≪構成された権力≫によって制限されたり、吸収されることに対して否定的である」と解説している。右であれ、左であれ法を破る力というのが存在するのである。憲法のために国民の平和と安全が脅かされてはならないのである。現在のような安保法制をめぐる神学論争には、それがまったく抜け落ちている。

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安倍首相と橋下大阪市長は固くスクラムを組むべきだ!

2015年06月15日 | 政局

日本は危機であるのだから、これまでの行きがかりを捨てて、保守は団結をしなくてはならないのである。安倍首相と橋下大阪市長がタッグを組むしか、現状を打開するのは困難になってきている。ここは現代版の薩長同盟ではないだろうか。昨日、二人が長時間にわたって会談したことで、いよいよし潮目が変わってくる。本来であれば、保守派の国会議員がいる民主党は、安全保障の面で、安倍政権と建設的な議論をするのが普通である。それもせずに、共産党や社民党と一緒にデモで気勢を上げるにいたっては、まるで革命政党である。もはや保守とは一線を画したのだろう。橋下大阪市長が決断すれば、維新の党の多くが保守色を鮮明にする。安倍首相を支えるには、自民党だけでは物足りない。引退組の元議員たちは、足を引っ張るのに必死である。今後どのような展開になるかは予測できないが、橋下大阪市長が新党をつくり、そこに次世代の党が合流し、与党の一角を担うべきだろう。民主党は政権を取りたいがために、手段を選ばない姑息な者たちの集まりである。保守は見切りをつけるべきなのである。独裁国家中共を喜ばせるだけの政党や政治家は、国を危うくするだけである。戦後の既得権を守ろうとする勢力と対決し、それを打倒しなければ、日本は国家たりえないし、中共の属国となるだけなのだから。

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