草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

法匪が跳梁跋扈するのは教養が軽んじられてきたからだ!

2015年06月10日 | 思想家

法律学者や法律家がお花畑なのは、明治以降の日本の法学教育に欠陥があるからだ。高山岩男は『文化類型学的考察日本民族の心』でそのことを問題視していた。最近の安保関連法案についての法律学者の発言を聞いて、ついついそのことを思い出してしまった。明治維新を成し遂げた武士たちは経学・史学・文学の教育を受けた。しかし、明治になってからは大学の中心は法学一辺倒となり、東大法学部が日本の学問の頂点に君臨することとなった。そこでエリートと目された者たちが日本を敗戦に導いたのであり、戦後も懲りずに、六法全書の解釈を優先させてきた。安保関連法案の整備が日本にとって喫緊の課題であることを理解するには、法学以外の幅広い知識が求められる。違憲だとする法律学者の見解に関して、あくまでも法律の次元でしかなく、政治の判断で決めればいいとの意見もあるが、それは本末転倒だ。法の究極にあるものは、国家国民の平和と命を守ることである。それを無視していいわけはない。とくに日本の安全保障に関しては、これまでも非常識な判決が次々と出されてきた。高山は打開策として、倫理道徳、哲学宗教などに目を向けるとともに「現行実定法の解釈という専門技術とならび、あるいはその前に、法体系・法意識の類型比較的研究(いわゆる比較法学)の思索や学問で、法の本質、法の運営に反省を加えるという大学らしい(詳しくいえば法律専門学校とは違う大学法学部らしい)教養を身につけさせる」ことを主張した。お粗末な法律学者を一掃するには、まずは法学教育の改革なのである。

 

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