草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本人を待ち構えているのは放射線によるゆるやかな死だ!

2011年10月21日 | 災害

 民主党政権やマスコミは口をつぐんでいるが、私たち日本人は、放射性物質によるゆるやかな死を受け入れるしかないのだろう。福島第一原発事故は、取り返しがつかない禍をもたらした。依然として事態は収束しておらず、2、3年もしないうちに、子供たちの健康被害が出ることが危惧されている。ユダヤ人であった妻ゲルトルードがナチスに殺された場合のことを考えて、自殺すらも肯定したのがヤスパースであった。「ゲルトルードを暴力から守ってやることができない場合には、私も死なねばならない」(『運命と意志』・林田新二訳)と書いたのは、嘘偽りではなかった。最愛の者がいなくなれば、それにともなう喪失感も深刻である。しかし、ナチスのように、私たちが収容所に送られて、ガス室に叩き込まれるわけではない。目の前に死がぶら下がっていることに気づく人は、滅多にいないから、原発事故に対しての抗議の声も、それほど大きくならない。ヤスパースの良き理解者であった武藤光朗は、他者を必要とする根源的な欲求について、「死の孤独の影の深みへの沈潜にもとづく他人との交わりへの意志」(『革命思想と実存哲学』)という言葉で表現している。武装したナチの軍隊が私たちを取り巻いているのではないが、平和な世界は表面上だけで、かけがいのない他者との愛を引き裂かんとして、死が私たちを包囲しつつある。今こそ私たち日本人は、緩やかな死を待つのではなく、生きるための手立てをつくすべきだろう。残された時間は後少ししかないとしても。

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新島八重は本当に敬虔なクリスチャンであったのだろうか?

2011年10月21日 | 歴史

 今日の朝、京都から会津にもどってきた。新潟経由で車で出かけたが、スイスイ走れるのにはビックリした。滋賀県に入ったあたりから混み始めるが、それ以外は結構飛ばせた。今回の京都行きは、再来年のNHK大河ドラマに新島八重が取り上げられることが決まったためで、同志社の関係者に色々と取材をしてきた。私のような会津側からしてみれば、旧会津藩士の兄山本覚馬を頼って京都の人となり、そして、敬虔なクリスチャンになった、とばかり思い込んでいた。しかし、真相を知らされると、やっぱりという気がしてならなかった。新島襄と結婚した当初は、それこそクリスチャンになろうとして努力したようだが、夫に先立たれると、やはり士族として受けた教育の方が優り、殿様へのこだわりの方が強かったともいわれる。さらに、会津にとどまった妻を離縁し、新に京都で二度目の妻を兄覚馬は迎えたが、その義理の姉ともうまくいかなかったというエピソードは、より人間臭い。神ならぬ身の弱さであったのだろう。いつもの通りのことだが、同志社に向かう途中に通過した東山区三条通の蹴上げの坂では、会津藩兵1000名が上洛した日の情景が浮かんでならなかった。これからは、会津烈女の典型と評されながら、京都の地で没した八重のことについても、色々と調べてみるつもりだ。

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