草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

死の灰の地を離れて新天地を求めるのも一つの選択だ!

2011年10月17日 | 災害

 やっぱり東北自動車道は混雑していた。被災者認定を受けると無料になるので、それで利用している人が多いに違いない。ようやくたった今、青森県八戸市のホテルに落ち着いた。盛岡市では知人の病気見舞いをして、それから八戸道に出たので、結構時間がかかってしまった。ガソリンも満タンであったのが、カラカラになってしまった。そして、朝から晩まで一日中車で走っていると、日本の国土のうち有効利用されているのは、ほんの少しではないかという気がしてならない。私がよく出かける霞ヶ浦周辺にしても、まだまだ活用されていない土地があるし、東北地方だってまだまだ眠っている土地がある。民主党政権は、福島県東部の扱いをどうするかで、迷いに迷っているようだ。福島市や郡山市の人たちを避難させれば、もう福島県が消滅するのを恐れているのだろう。関係自治体からの突き上げに対処するすべもないのだろう。しかし、放射性物質で汚染された地域を離れると、何の心配もなく暮らせる場所が、日本にはまだまだたくさんあるのだ。あきらめ顔に厳しい現実を受け入れるといいうのは、思考停止以外の何物でもない。その地を離れよおうとすれば、それこそ車を4、5時間運転すればいいのである。日本人はどんなことでも受け入れる習性があるといわれるが、今度ばかりはポジティブな生き方をすべきではないかと思う。住めば都である。会津を遠く離れた八戸市にやってきて、なおさらその思いを深くした。

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悲しみに打ち沈む福島市に晴れやかな歌声はいつ戻るのか?

2011年10月17日 | 災害

 今日はこれから盛岡市と八戸市に向かう。一度会津若松市に出て、それから高速道路に乗ろうと思う。その途中に福島市を通過することになるが、自分の車で東北自動車道を走るのは久しぶりである。福島第一原発の事故が発生した3月11日以降、高速バスでは何度も上京しているが、ハンドルを握るとなると、また別な思いがしてくる。普通の年であれば、最低でも月に一回は、県立図書館に出かけたものだが、なぜか足が遠のいてしまった。久々に信夫の里を目にするわけだが、悔しくて悔しくてならない。本来であれば、避難しなくてはならない人々が、できもしない除染に期待をかけて、今なおそこで暮らしているのだ。福島市内の各所にホットスポットがあるといわれるが、小関裕而記念館あたりは、どうなのだろう。私の父が予科練であったことから、「若鷲の歌」を始め、小関裕而作曲の軍歌は大体歌うことができる。さらに、甲子園球児の愛唱歌である「栄冠は君に輝く」や、私の好きな詩人大木惇夫の「海を往く歌」にも小関は曲を付けている。戦争か平和であるかを問わず、日本の若人の応援歌を世に送り出してきた、偉大な作曲家であった。先の戦争で日本が敗れた以上に、福島市民は悲しみに打ち沈んでいるに違いない。いつになったら、晴れやかな気持ちで小関メロディーを口ずさむことができるのだろうか。

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