♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■一房のブドウの枝/板倉邦雄

2016年10月19日 | Weblog
2016/10/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「一房のブドウの枝」という題でお話ししましょう。

 12人の探索隊の使命の一つ、カナンの地の果物を持って帰って来ること、がありましたそこで12人の探索隊は神の約束されたカナンの地へ上って行きました。シナイ半島の北・チンの荒野から探索を開始、80キロ北上してネゲブ地方に上り、死海の東・ヘブロンまで探索をしました。ヘブロンにはアナク人の子孫が住んでいました。アナク人は強い民族で、背の高い巨人でした。しかも彼らの住むヘブロンの町は堅固な城壁に囲まれていましたエジプトの町より強力に見えたのです。更に12人の探索隊は北上して遂にエシュコルの谷と呼ばれる所へ行きました。そこには果物が豊かに実っていたのです。そこで人房のぶどうの枝を切り取り、これに棒を通して二人で担ぎました。一房のぶどうを二人で担ぐ、・・・どんなに大きなぶどうだったか想像していただきたいのです。更に、ざくろと無花果の実も収穫しました。そして遂に、12人の探索隊はシリヤのハマテに至るまで探ったのです。イスラエルの宿営地から直線距離にして約1000キロ以上でした。日数にして40日かかりました。12人の探索隊は約束の地カナンの地を探り終えて帰ってきたのです。

 パランの荒野にいたモーセとアロン及びイスラエルの全会衆に対して報告しました。そして約束の地の果物を人々に見せてあげたのです。特に二人がかりで運んできた一房のぶどうは強烈な印象を与えたことでしょう。

 イエス・キリストはご自分を指してこう言われました。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
    ヨハネの福音書の15章の5節です  (口語訳)

 一房のぶどうの枝はぶどうの木であるイエス・キリストに繋がった私たちの人生を表しているのではないでしょうか。豊かな実りある人生の秘訣はイエス・キリストに繋がる人生なのです。

  (PBA制作「世の光」2016.10.19放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■起きて、床を取り上げて歩け -3 / 大嶋重徳

2016年10月18日 | Weblog
2016/10/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書にはベテスダの池という病の人を癒す池の話が出てきます。
 
 この池の周りに38年もの間、寝たきりの人がいて、イエス・キリストは彼にこう言われました。
 「よくなりたいか。」 (ヨハネ福音書 5章6節)
 
 しかし、そう聞かれた男は答えます。
 「池の中に私を入れてくれる人がいません。」

 「良くなりたい」とも言えない彼は、独りぼっちでこの場に横たわっていたのです。何年も何年も、その繰り返し。いつしか38年もこの場所にいたのです。

 彼は諦めました、良くなることを。だからこそイエス様に「良くなりたいか」と聞かれても、「良くなりたいですよ」と答えることをしなかったのです。誰もそばに来てくれない38年間の孤独の中で、一人だけ自分のそばに来てくれた人がイエス様でした。優しく彼をじっと見つめてくれ、声を懸けてくれたイエス様に彼は「もう変われないんです」と心の叫びを、自分の抱えている弱さを正直に話したのです。

 イエス様の「良くなりたいか」ということばは、良くなりたいと思っているのか? よくなりたいと思っているんだったらその気持ちがあるんだったら治してやろう。もっと神を信じる信仰を持てよ、と彼を責めるものでありませんでした。彼の内側にある失望を諦めを寂しさを、正直に話すことのできるそういう優しいことばだったのです。イエス様の「良くなりたいか」ということばは、良くなりたいとも思うことのできない自分の弱さを正直に話すことのできる優しいことばでした。

 私たちも今日このイエス様の前で正直になりたいと思います。このラジオを聴きながら、あなたは今変わりたいと思っていますか? 所詮変われないよ。一旦変わろうと思っても、すぐに周りに流されるんです。結局自分は変われないんです。やめられないあの罪がありますから。もう間違っているとも自分でも思わなくなっているんです。・・・
 しかしこの朝、イエス様はあなたの正直なそのことばを待っておられるのです。いい人ぶった答えではなく、いい人を演じる事もできないようなあなたの本当のことばをイエス様は待っておられるのです。そしてそこから始めていくのです。良くしてくださる主のみわざ・御手に委ねて行くのです。あなたの前にはあなたをよくしようと見つめておられるイエス様がおられるのですから

  ( PBA制作「世の光」2016.10.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■まっすぐにされる / 関根弘興

2016年10月17日 | Weblog
2016/10/17放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介しましょう。旧約聖書 箴言3章5節(、6節)
 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 素晴らしい約束のことばですね。私たちが神様に信頼し歩んで行くとき、神様は私たちの行く所、どこにおいても道をまっすぐにしてくださる、と言うのです。そして、もしあなたが選び進んでいった道が閉ざされ、それ以上進めなくなってしまったら、それは神様が更に良い別の道を用意してくださっている、ということでもあるんです。

 これは私の経験ですが、私は神学校に入るとき、最初に考えていた学校には入学できませんでした。道が閉ざされた訳ですね。しかし牧師になろうとする志は全く消えませんでした。そして東京の別の神学校に入学したんです。卒業間近になった頃、ある地方都市の教会の牧師になることがほぼ決まりかけていました。そこは教会があり、広いお庭のある教会でした。しかし不思議な経緯があって、突然その話が白紙に戻ってしまったんです。それは通常では考えられない事でした。どーしようかと思ってた時、神奈川県の小田原で開拓伝道を宣教師が行うというので手伝わないかと声を懸けていただきました。ところが卒業直前のある日曜日、その開拓教会で説教をし、皆でお昼を食べている時でした。一緒に開拓伝道をするはずの宣教師が心筋梗塞の発作を起こし、二時間後に天に召されてしまったんです。私は神学校を卒業後、小田原には2年間だけいるつもりだったのですが、結果的に、この開拓伝道を引き継ぎ、教会の責任を持って今に至っているんですね。私は初めに考え計画した道は閉ざされ進めなくなったりしましたが、その都度神様が私にとってより良い道へと導いてくださったんです。

 主に信頼し生きるとき、自分の判断が間違っているかどうかを余り心配しすぎる必要はありません。神様は道を開くことも閉ざすこともできるからです。あなたに対して最も良い道を導いてくださることを信頼し進んでください。主を認めて行くときに、主はあなたの道をまっすぐされる、と約束されているのですから。

(PBA制作「世の光」2016.10.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■絶望するヨブ / 羽鳥頼和

2016年10月15日 | Weblog
2016/10/15放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

今日は旧約聖書のヨブ記7章からお話しします。ヨブ記の主人公であるヨブは大きな苦難に遭いました。一日の内に財産と子どもたちを失い、その後、自分も全身にできものができてしまったのです。苦しみの中でヨブは神に訴えました。
 「私はいつまでも生きたくありません。私にかまわないでください。・・・人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。」(ヨブ記 7章16節、17節)

 自分の苦しみを見つめながら、ヨブは「もう死んだ方がましだ」と思い、神に対して「人とは何者なのでしょう」と問いかけています。その思いの中には、こんな苦しみを与えるなら神が私を見捨ててくれた方がましだ、という思いがあるのでしょう。神は長い沈黙の後で、ヨブに「わたしの造った天を見なさい。星の運行をあなたは制御できるか?」と言いました。

 イスラエルの王ダビデは神の造られた天を見て神にこう言いました。
 「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。」 (詩篇 8篇3節、4節)
 ヨブと同じ表現をしていますが、ダビデはここで天を見上げながら、神が人に心を留めてくださることを感謝しています。

 ダビデとヨブの違いは何でしょうか。それは、何を見ているか、だと思います。ダビデは神の造られた自然に目を向けました。ヨブは苦難に目を向けています。神はそんなヨブに、「わたしの作った自然を見みなさい。」と言われました。苦難ばかり見つめていると誰でも落ち込みます。そんなとき、少し視点を変えることは大切なことだと思います。自然を見ることは、創造主である神の本当の力に気づくことになります。星の運行の法則を作っただけでなく、今もそれを支配されている神の偉大な力、またいのちを造り育まれるお方。このことを知るなら、神は、苦難を取り去り、救いを与えることができるお方であることを、信じることができるでしょう。

 明日は日曜日です。あなたに心を留めておられるまことの神様を礼拝するために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.10.15放送でのお話より )
 
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■父イサクを共に葬る恵み / 岩井基雄

2016年10月14日 | Weblog
2016/10/14放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の第二週の金曜日は旧約聖書に登場するヤコブの人生について学んでいますが、ヤコブの人生もいよいよ終盤を迎え、父イサクの死に続いて愛する妻ラケルの死と向き合っていくことになります。

 作家の三浦綾子さんは生前、「私にはまだ死ぬという大切な仕事がある」と語りました。最近は自分の人生の終わりについて考える「就活」に多くの方が意欲的に取り組んでいらっしゃいますが、死と向き合うことは簡単なことではありませんね。自分だけではなく配偶者などの家族の死と向き合うことも同様に痛みを伴う大きな人生の課題であり、誰も避けて通ることはできませんね。

 この創世記35章には、ヤコブの妻ラケルと父イサクの死が記されています。ラケルは第二子を出産する時、苦しみの中でその子をベン・オニ、「私の苦しみの子」と呼びます。死を意識したラケルは出産の痛み以上に、別れの苦しみをもその名前に込めたのでしょうか。夫であるヤコブは、ラケルが命がけで産んだこの子をベニヤミンと名づけますが、その名前には「後継者」「名誉な者」という意味もありました。妻との別れという悲しみの中で、ヤコブは彼女が残してくれた末子に希望の名前をつけ、文字通りベニヤミンは後に老いたヤコブの生きる希望となっていきます。一方、長寿を全うしたイサクはエサウとヤコブに葬られます。イサクの死が最後に、問題や確執を抱える双子の兄弟を繋いで行ったのです。

 聖書はこう記しています。
 「イサクは息が絶えて死んだ。彼は年老いて長寿を全うして自分の民に加えられた。彼の子エサウとヤコブが彼を葬った。
    旧約聖書 創世記35章29節

 死の苦しみの中にも神の恵みと慰めがあり、主はその苦しみさえも用いてくださるですね。そして神様に信頼を置き、イエス・キリストを信じる者には死を超える命の希望、永遠の勝利の希望があるのです。

 「死は勝利に飲まれた」と聖書が証ししている通りです。私たちが恐れる死は神のいのちにある勝利に飲まれました。私たちは死や別れを恐れる必要がなく、永遠の希望といのちはあなたに平安と希望と本当の絆を与えるです。あなたもこの勝利の人生を歩み出していきませんか?

  (PBA制作「世の光」2016.10.14放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主が幸いを与えられるように / 福井 誠

2016年10月13日 | Weblog
2016/10/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が幸いを与えられるように」です。それでは第一サムエル記24章19節から読んでみましょう。
 
 「人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。

 今年の3月に、今日のメッセージの舞台となったイスラエルのエンゲディを訪れました。今ではクムランの洞窟やマサダの要塞など、観光名所で賑やかな所ですが、見渡す限り荒涼とした岩地に洞窟が点在する光景が広がっている所です。

 ここでダビデは追跡するサウルにばったり遭遇する危機に曝されています。用を足したくなったサウルがダビデの隠れていた洞窟に入ってきたのです。しかしサウルはイスラエルの燦燦と輝く太陽のもとから急に暗い洞窟の中に入ったので目が慣れず、ダビデが隠れていたことに気づかなかったようですね。入って来るサウルを見て、ダビデの部下がささやきました。「今こそサウルの息の根を止める時です。」と。

 しかしダビデはサウルを自らの手で殺める事を拒みました。孤立無援の思い、そして悲しみとやるせない怒りに暮れる日々。長引く逃亡生活にダビデの心は疲れ果てていたはずです。けれどもダビデはサウルを殺そうとはしませんでした。

 人に対して激しい憎しみを抱くことはあるものでしょう。しかし人の悪意に負けてはいけないのです。人の悪意に負けて仕返しをするなら、却って後で自分を苦しめることになります。ダビデもそう考えていたのかもしれません。けれどもなかなか人間、そのようには行動できなかったりしますね。そして一瞬の感情に駆られて、自分の人生を台無しにしてしまいがちです。大切なのはダビデが神と共に生きたことではないでしょうか。神との関係を大事にすることでダビデは守られたのです。

 「復讐は我にあり。」 神がなさる事だ、と正しいことをなさる神がおられることを信じるときに、一時の感情にも歯止めがかけられるものですね。すべてを善きに導く神を信頼するときに、人間の力強い生き方も生じるのだということを覚えたいものです。

(PBA制作「世の光」2016.10.13放送でのお話より )

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■探索隊 / 板倉邦雄

2016年10月12日 | Weblog
2016/10/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「探索隊」という題でお話ししましょう。
 (私の)教会では子どもたちの夏のキャンプ(※宿泊施設でのキャンプ)を開きます。今年は千葉市の少年自然の家でしました。その際、二人の先生が下見に行ってきました。山の中にあり自然に囲まれたキャンプ場です。下見もしないでキャンプを実施することは考えられませんね。

 さて、主なる神様も指導者モーセに言われました。
 「人を遣わして私がイスラエルの人々に与える約束の地カナンを探らせなさい。先祖の部族ごとに、すなわち部族の長を探索隊として遣わしなさい。」

 そこでモーセは主なる神様の命令に従い、パランの荒野から十二人の部族長を送り出すことにしました。

 ここで十二部族の長たちの名前を紹介しておきましょう。
 ルベンの部族長はシャンマ。シメオンの部族長はシャパテ。ユダの部族はカレブ。彼の名前はこれからも出てきますので覚えておいてくださいね。イッサカルの部族長はイガル。エフライムの部族長はホセア。後でモーセからヨシュアと改名させられましてモーセの後継者になります。ベニヤミンの部族はパルテ。ゼブルンの部族はガデエル。マナセの部族はガデ。ダンの部族はアンミエル。アセルの部族はセトル。ナフタリの部族はナヘビ。ガドの部族はギウエル。(参照 民数記13章4~15節)

 以上十二名。指導者モーセがカナンの地を探らせるために遣わした人々の名前です。そしてモーセは探索隊12人を遣わすに当たって、次のような点を探るように言われました。
 「まず、ネゲブの山に登りその地の様子を見て、そこに住む民は強いか弱いか、少ないか多いか、次にその土地は良いか悪いか、人々の住んでいる町々は天幕かそれとも城壁に囲まれた町か、そして第三に、その地は肥えているか痩せているか、そこには樹木があるかないかを調べなさい。あなたがたは勇気を出して行ってください。そしてその地の果物を取ってきてください。」 (参照 民数記13章17~20節)

 さて、部族の長はその部族を管理してゆく責任と義務があります。管理者に求められることは何でしょうか。探索隊に求められることは何でしょうか。

 聖書のことばです。
  「管理者に要求されているのは、忠実であることである。
          コリント人への手紙第一 4章2節 (口語訳)

  (PBA制作「世の光」2016.10.12放送でのお話より )

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■起きて、床を取り上げて歩け 2 / 大嶋重徳

2016年10月11日 | Weblog
2016/10/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書にはベテスダの池という病の人を癒す池の話が出てきます。
 
 この池の周りには、多くの病人たちが集まっていました。この日、イエス様がこの場所に来られて、38年もの間、寝たきりの人のそばでこう言われました。
 「よくなりたいか。」 (ヨハネ福音書 5章6節)
 しかし「良くなりたいか」、このことばは愚問ですよね。普通は「良くなりたいか?・・・いやいやいや、この場所に来ている意味を知ってます?」と言うのが普通だと思います。もし私がお腹が痛くて病院に行ってお医者さんに、「良くなりたいか?」と言われたら、「はあっ? 何、馬鹿にしてんの?」と思うでしょう。しかしこの時、彼は「良くなりたいか」と言われて、「良くなりたい」と言わなかったのです。
 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」(ヨハネ福音書 5章7節)

 ・・・私が行こうとするといつも先に他の人が入ってしまう。私はいつになってもだめなんです。もう38年もの間、いつもこうだったんです。ベテスダの池の話を聞いた時、良くなりたいと必死でベテスダの池に来ました。するとこの池のまわりには自分と似たような境遇の人がたくさんいたんです。隣の人ともいろんな話をして、次頑張ろうね、とお互い励まし合っていました。でも、水が動いたその瞬間、その人もライバルですよ。水が動いて病気が癒されるのはたった一人だけですから。・・・

 この池は競争社会でした、病人たちはピリピリしていたんです。夜もバシャンと池に入る音が聞こえる度、ああやられた、とろくに寝ていられない場所でした。私たちにも良くなりたいとすら思えない状況が起こることがあります。良くなることに諦めてしまうような状況に慣れてしまうということもあるでしょう。イエス様の「良くなりたいか?」ということばは、今日の私たちにもそのまま突き刺さってきます。競争社会に疲れ果て、本来こうありたいと願っていた最初の願いすら忘れてしまっていることがあります。イエス様は「良くなりたいか?」とこの朝、私たちに問いかけてこられます。もしかすると私たちの口からは「良くなりたい」ということばがすぐには出て来ないかもしれません。それでも良いのです。弱さをそのままイエス様にお話をして聞いてもらえれば良いのです。その中で私たちに少しずつ少しずつ良くなりたい思いが与えられていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2016.10.11放送でのお話しより )

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■志を与える主 / 関根弘興

2016年10月10日 | Weblog
2016/10/10放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介しましょう。新約聖書 ピリピ人への手紙2章13節
  「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

 牧師をしていますと、いろいろな相談を受けることがあります。これからの進路のことや問題に対してどう対処していくかなど様々です。またある方は自分が行おうとすることになかなか確信が持てなくて神様は私の人生をどのように方向づけてくださるのだろう、漠然と考え悩むことがあるかもしれません。私の経験から分ることなんですが、神様が私に何かをさせたいと思うときには必ず自分の中に志を与えてくださるということです。もしあなたが何か強い志をもっているものがあるならその志をぜひ大切にしてください。

 私が牧師になろうとしたときのことですが、自分が牧師になるということは本当に神様の思いだろうかと悩んだ事がありました。神様、何か神秘的な方法で示してくださらないかなあ、耳に聞こえるように「牧師になりなさい」と神様が直接語ってくださるならはっきり分りますよね。何一つそのようなものはありませんでした。しかし牧師になるという志はずっと心にあったんです。そして私は新学校の入学試験を受けました。筆記試験の後、面接があり、担当の牧師先生に、「関根君。君は牧師になることが神様を御心だと確信していますか?」と聞かれたのです。正直が一番をモットーにしている私は、「いや、御心かどうかは牧師になってみないと分りません。」と答えたんですねえ。そんなあやふやな答えしかできない者でしたが、神様は私の人生に不思議な計画を持ち、私の人生を握っておられる。だから神様はご自分の計画通りに事を成し遂げてくださるという思いはいつも思っていました。感謝なことに入学し、その後卒業して今こうして牧師をさせていただいているんですね。

 あなたも人生の岐路に立ち、いろいろな決断をしなければならないことがあるでしょう。その時にあなたの中に与えられた志をぜひ大切にしてください。もちろん道の先には困難が予想されるかもしれません。しかし主に信頼し歩んでください。事を成し遂げてくださるイエス・キリストがともにいてくださいますから。

(PBA制作「世の光」2016.10.10放送でのお話しより)

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■突然わざわいにあったヨブの信仰 / 羽鳥頼和

2016年10月08日 | Weblog
2016/10/8放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

今日は旧約聖書のヨブ記1章から、災いにあったヨブの信仰についてお話しします。彼は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている信仰深い人物でした。彼にはたくさんの子どもたちがいました。そして非常に多くの家畜を飼い、そのために多くのしもべたちを雇っていました。ヨブは裕福で幸せな生活をしていました。

 さて天の上でのことです。神の前に天使たちが集まりました。天使たちの中にサタンがいました。神はサタンに言いました。「お前はわたしのしもべヨブを知っているか。彼ほど信仰深い者は地上に一人もいない。」 するとサタンは神に言いました。「彼のすべての持ち物を奪ってください。彼はきっとあなたを呪うに違いありません。」

 神はサタンがヨブからすべてのものを奪うことを許しました。サタンは神の前から出てきました。

 そんなある日のこと。一人で居たヨブの所にしもべがやってきて言いました。「ご主人様、大変です。あなた様の家畜が盗賊に奪われてしまい、しもべたちはみんな殺されてしまいました。」 しばらくすると他のしもべがやってきて言いました。「ご主人様、大変です。大風が吹いて御長男の家が倒れ、中にいたお子さんたち全員が死なれました。」 ヨブはこれらのことを聞き、嘆き悲しみました。そして地にひれ伏して神に礼拝を下げそして言いました。「わたしは裸で生まれた。また裸で私は帰ろう。神は与え、神は取られる。神の御名はほべきかな。」(参照 ヨブ記 1章21節)

 ヨブはこんなになっても罪を犯さず、神に文句一つ言わず、むしろ神を誉めたたえたのです。聖書は神とサタンの会話を語り、この災いの原因を語っています。しかしその事をヨブは知りませんでした。それなのに彼は神を礼拝しながら、悲しい出来事を神のなさったこととして受け入れようとするのです。

 旧約聖書伝道者の章3章11節がこのヨブの信仰を表しています。
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
 私も神への絶対的な信頼をもって神を誉めたたえたいと思います。

 明日は日曜日です。神に礼拝をささげるために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.10.8放送でのお話より )
 
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