♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神は渡さなかった / 福井 誠

2016年10月06日 | Weblog
2016/10/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「神は渡さなかった」です。それでは第一サムエル記23章14節から読んでみましょう。

  「 ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。

 ペリシテ人がイスラエルに攻め込んできて略奪を謀りました。ちょうど収穫期の終わりの季節、たくさんの収穫物を狙った犯行でした。その知らせはダビデのもとに寄せられました。一方、イスラエルの王サウルは、そんなペリシテ人の蛮行を抑えるよりも自分の地位を守るためにダビデを追跡し追い詰めることに汲々としていました。

 こんなストーリーを読みますと、人間社会の生々しい現実を思わされますね。組織の長として組織を引っ張っていくべき時に、ただ保身を計って自分の立場を揺るがす者に目を光らせ締め出そうとする。それは歴史の過去の歴史のお話しではありません。現代の様々な組織ですらそんな事を見聞きするのですし、そういう組織の中に置かれてしまう不幸というものがありますね。

 しかし聖書はまさに私たちの人生の指針です。ダビデが経験したように、正しいことをなさる神が苦難にある神のしもべを守り導いてくださるのです。

 この時期、ダビデは詩篇の31篇を書いていますが、そこにはダビデの心情がよく表わされています。ダビデは侵略するペリシテ人を打ち負かし、「ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で私に奇しい恵みを施されました。」(詩篇 31章21節)と歌いました。しかし同時に「私は死人のように、人の心から忘れられ、こわれた器のようになりました。」(詩篇 31章12節)と歌っています。勝利を祝いながらもサウルに追跡され、陥落寸前の自分の心の悲しみがあることを告白しています。ただ彼は絶望している訳ではありません。「私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。」(詩篇 31章15節)とはっきり神に望みを抱いていますね。人生はうまくいかないものですし、苦しいことだらけですが、神の助けが有れば必ずそこに道は開けると考えたいものですね。すべてを動かす鍵は神にあるからです。

(PBA制作「世の光」2016.10.6放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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