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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■暗闇から光へ / 関根弘興

2016年10月03日 | Weblog
2016/10/3放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介しましょう。エペソ人への手紙5章8節
  「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

 この手紙を書いたパウロは何とエペソの教会の人たちに「あなたがたは、以前は暗闇の中にいました」と書いているのではなくて、「あなたがたは以前は暗闇だった」と書いてるんですねえ。つまり、あなたがたの存在そのものが暗闇の性質そのものだったと言っている訳です。もちろん、と言ってもこれは性格が暗かったというような意味ではありません。お互いの性格とは関係なく、みんな以前は暗闇だったと言うんですねえ。一体どういうことなのでしょう。

 パウロはこの手紙の2章の所で、こんなことも書いています。
 「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、・・・自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
 このように書かれています。つまり私たちは、以前は罪の中に死んでいた状態、そういう風に言ったんですねえ。罪というものは神様との関係がずれた状態を表すことばです。命の源である神様との関係がずれてしまって、神様との親しい交わりが途絶えてしまっているという訳ですねえ。それはちょうど美しく輝くことのできる電気であっても、もし断線状態なら決して光り輝くことができませんね。「あなたがたは以前は暗闇だった」ということは、本来なら輝くことができるのに断線している状態にあなたがたはいたのですよ、とパウロは言っているんです。

 しかしパウロは、暗闇だった私たちは今、主にあって光となりました、と記していますよね。イエス・キリストは何のために来られたのでしょう。それは私たちのこの断線状態を回復し、神様からの命を受けて光を放つことのできる者へとあなたを変えてくださるために来てくださったのです。

 イエス・キリストはこう言われました。ヨハネの8章12節
 「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。

 イエス・キリストは私たちの暗闇を照らすまことの光として来てくださったんですね。

(PBA制作「世の光」2016.10.3放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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