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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■起きて、床を取り上げて歩け 2 / 大嶋重徳

2016年10月11日 | Weblog
2016/10/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書にはベテスダの池という病の人を癒す池の話が出てきます。
 
 この池の周りには、多くの病人たちが集まっていました。この日、イエス様がこの場所に来られて、38年もの間、寝たきりの人のそばでこう言われました。
 「よくなりたいか。」 (ヨハネ福音書 5章6節)
 しかし「良くなりたいか」、このことばは愚問ですよね。普通は「良くなりたいか?・・・いやいやいや、この場所に来ている意味を知ってます?」と言うのが普通だと思います。もし私がお腹が痛くて病院に行ってお医者さんに、「良くなりたいか?」と言われたら、「はあっ? 何、馬鹿にしてんの?」と思うでしょう。しかしこの時、彼は「良くなりたいか」と言われて、「良くなりたい」と言わなかったのです。
 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」(ヨハネ福音書 5章7節)

 ・・・私が行こうとするといつも先に他の人が入ってしまう。私はいつになってもだめなんです。もう38年もの間、いつもこうだったんです。ベテスダの池の話を聞いた時、良くなりたいと必死でベテスダの池に来ました。するとこの池のまわりには自分と似たような境遇の人がたくさんいたんです。隣の人ともいろんな話をして、次頑張ろうね、とお互い励まし合っていました。でも、水が動いたその瞬間、その人もライバルですよ。水が動いて病気が癒されるのはたった一人だけですから。・・・

 この池は競争社会でした、病人たちはピリピリしていたんです。夜もバシャンと池に入る音が聞こえる度、ああやられた、とろくに寝ていられない場所でした。私たちにも良くなりたいとすら思えない状況が起こることがあります。良くなることに諦めてしまうような状況に慣れてしまうということもあるでしょう。イエス様の「良くなりたいか?」ということばは、今日の私たちにもそのまま突き刺さってきます。競争社会に疲れ果て、本来こうありたいと願っていた最初の願いすら忘れてしまっていることがあります。イエス様は「良くなりたいか?」とこの朝、私たちに問いかけてこられます。もしかすると私たちの口からは「良くなりたい」ということばがすぐには出て来ないかもしれません。それでも良いのです。弱さをそのままイエス様にお話をして聞いてもらえれば良いのです。その中で私たちに少しずつ少しずつ良くなりたい思いが与えられていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2016.10.11放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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