♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

罪を知るために、罪を犯す? / 羽鳥頼和

2016年09月24日 | Weblog
2016/9/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は使徒パウロが書いたローマ人への手紙3章1~8節からお話しします。

 この箇所でパウロは「善を現わすために、悪をしようではないか。」(8節)という考え方についてその間違いを教えています。善を表すために悪をしようではないかという考え方とは、悪いことをしなければ罪について分からないとか、一度は罪にどっぷりつかってみなければ神の救いの恵みの素晴らしさ分からないというような理屈のことです。これは罪を知るために罪を犯すことを良いとするということです。これは屁理屈です。パウロは、もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです、と厳しく語っています。このような屁理屈を言う人は罪に定められて救われることが無いのです。

 それではどのようにしたら罪を知ることができるのでしょう。私たちは聖書を読むことによって罪を知ることができるのです。例えば旧約聖書 出エジプト記20章には有名なモーセの十戒が記されています。そこには「殺してはならない」(13節)とあります。ああこれは大丈夫・・・と思います。新約聖書のヨハネの手紙第一は人殺しについてこう教えています。「人を憎む者はみな人殺しです。」(1ヨハネ 3章15節 ) 人を憎むことが無い人がいるでしょうか。自分の心に手を当ててみましょう。

 またイエス・キリストは、神の律法は二つの戒めを土台としていると教えました。その二つの戒めとは、「心を尽くし思いを尽くし知力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」(マルコ 12章30節参照) そしてもう一つが、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マルコ 12章31節参照)ということでした。私たちは自分を愛することは忘れませんが、神のことは愛するどころか、忘れていることが多いのではないでしょうか。隣人についてはどうでしょうか。知り合いの人をみんな憎まず愛しているでしょうか。

 更にヤコブの手紙4章17節はこのように教えています。「なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」 聖書は私たちに罪についてはっきりと教えています。そして罪を赦され良いことを行うための救いの道もしっかりと教えてくれているのです。神の与えてくださる救いの道を知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2016.9.24放送でのお話より )
 
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