♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■聖徒にふさわしく / 関根弘興

2016年09月26日 | Weblog
2016/9/26放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介しましょう。エペソ人への手紙5章3節
  「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

 ここで「聖徒にふさわしく」とありますねえ。聖徒、これはあの学校の生徒という意味ではありません。この聖徒というのは英語ではセイント saintということばです。別のことばに置き換えるならば、「神様の専用品となった人々」ということです。イエス様を信頼し生きるということは、私が神様に用いられる神様の専用品となるんだということなんですねえ。ちょっと大げさ、って考えるかもしません。でも神様の栄光を現すということを聞くと、何だか立派なことや素晴らしいこと・行いをすることですか?、そんなこと私はできません、と考える人もいます。

 新約聖書の第一コリントの10章31節には、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」と書かれています。このことばは勇気が湧いてくることばだと思いませんか? 私たちは神様の栄光を現すために特別な素晴らしいことしたり聖人君子のような立派な生き方をしなければならないという訳ではありません。食べるにも飲むにも何をするにも、つまり日常生活のささいなことの中に神様の栄光を現し生きてことができるんだ、と聖書は教えるんです。日常のささいなことを通して神様を誉めたたえて生きていくことができる、すばらしいことですね。だからこそ生活の中で、口にすることさえいけないことばについて聖書は教えているんです。それは、相手の人格を傷つけ破壊し自らの品性も損ねてしまうようなことばは聖徒にふさわしくない、という訳です。

 今は会社でも学校でも、セクハラだとかパワハラだモラハラだということが大きな問題となっていますが、でも聖書は2000年も前からこうしたことばによる暴力、ことばによる人格無視、ことばによる蔑みに対して注意を与えているんです。

 エペソ人への手紙5章4節に、「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」とあります。聖徒にふさわしいことば、それは感謝です。生かされて感謝、互いの存在に対する感謝、そしてあなたを愛し赦し恵みをもって支えてくださる神様への感謝なんですね。

(PBA制作「世の光」2016.9.26放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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