♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■真理を求め続けた福音の伝道者 金森通倫 / 岩井基雄

2016年09月30日 | Weblog
2016/9/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第四週の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日と来週の第五週の金曜日は肥後の国・熊本出身のクリスチャンについて学んでみましょう。今日は小崎弘道についてです。

 、世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、先週の小崎弘道に続いて熊本出身のキリスト者・金森通倫について学んでみましょう。

 肥後の国、熊本県玉名市の郷士・金森繁蔵の次男として生まれた通倫は、明治5年、熊本洋学校の第二期生として入学し、リロイ・ジェーンズの影響を受けて救い主イエス・キリストを信じ、明治9年、花岡山「奉教趣意書」に署名します。彼はこの年の8月に熊本洋学校を卒業し、9月には同志社入学。そして新島 襄から洗礼を受けます。同志社を卒業した彼は、岡山教会の初代牧師に就任し、明治18年には最初の執筆となる『基督教三綱領』で福音を分かりやすく説き明かし、世に多くの影響を与えてきました。彼は明治19年、同志社の教師となり、新島の後継者としての地位を確かなものとしていたはずでしたが、明治23年、新島が亡くなった時に残した遺言書に金森の人格に関わる言及があったため、山本かくまが臨時の社長すなわち総長となり、すぐ後に小崎弘道が総長に就任したのです。金森は人間的には無骨な面があったとも言われています。

 同志社を追われた金森は、東京番町教会牧師となるも翌年辞任し、日本組合キリスト教会をも脱会します。また自由党に入党するも、二年で脱党という不安定な歩みを重ねます。しかし1912年、明治45年、妻を天に送った金森は悔い改めて組合教会に復帰し、大正3年には山室軍平率いる救世軍に入隊し、昭和2年には中田重治の東洋宣教会・日本ホーリネス教会に入会するなど、キリスト者としての本来のあり方を回復し、真理を求めていったのです。この時に、神、罪、救いの三綱領を説く金森伝道を展開し、積極的に福音の宣教へと活動を進めて行きました。彼は自分自身の様々な問題を通して神様の取り扱いを受け、神様の愛に生かされてその愛を伝え続けていったのです。

 キリストはあなたにも語られています。
 「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
          新約聖書 ルカの福音書11章9節

 あなたも自分の弱さを認め、神のもとに来ませんか?
 
  (PBA制作「世の光」2016.9.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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