♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神にならう者 / 関根弘興

2016年09月05日 | Weblog
2016/9/5放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も聖書のことばを最初に紹介いたしましょう。

 新約聖書エペソ人への手紙5章1節
 「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

 「神にならう者になる」と一体どういうことなのでしょう。ここで「ならう者」と訳されていることばは、「見倣う者」とか「模倣する」というような意味なんですねえ。でもこれは神のように振る舞うということではありません。特別な宗教の教祖になるとか、特別な人間離れした人になる、という意味でもないんですね。ではどういう意味で神にならう者になれと言ってるのでしょう。

 この箇所には「愛されている子どもらしく、神にならう者になれ」と書かれていますね。私たちは神様に愛されている子どもです。ですから私たちは神様に愛されてることを知ることによって、その神様の愛に応え、そして神様の愛や真実さを見倣いながら歩んでいく者とされているんですよ、それを喜んで生きて行きなさい、と勧められている訳ですね。

 でも神様を見倣えと言ってもね、目に見えない神様をどのように見倣うことができるでしょう。二つのものが私たちには与えられているんです。

 一つは、私たちが神様はどのようなお方で、神様を見倣うことができるようになるのか、聖書を通して私たちはそれを知ることができるんです。つまり、聖書は私たちが愛されている者として歩んで行くための道しるべなんですね。

 そして二つ目は、人が人として生きていくために、イエス・キリストが私たちの素晴らし模範となってくださっているっていう事なんです。新約聖書の第一ペテロの手紙2章21節には、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」とあります。 イエス・キリストは私たちの模範となってくださるお方です。

 私たちは聖書から、神様がどのような方であるかを知ることができ、そしてイエス・キリストの歩まれたその姿を見ることによって、私たちがどう生きていくのかを知ることができるんです。そればかりか、このイエス・キリストは、私たちと一緒にいてくださる模範として、今日も一人ひとりと歩んでくださると語られるんですねえ。ですからイエス・キリストから学びながら私たちは人生を歩んで行くものでありたいですね。

  (PBA制作「世の光」2016.9.5放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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