♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■福音の四季 - 欲しいのは霊的祝福

2006年10月04日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。栃木県茂木町にお住まいの陶芸家の椿さんから戴きました。

 雑木林の小屋暮らし、山百合がどっさり咲きました。なでしこも桔梗も咲いて、山の飾りです。山での私共の使命が全うできるようお祈りください。

 登り窯で焚き上げる焼絞の美しい器。神の宝の器です。椿さん、すばらしい山小屋と花々のお写真ありがとうございました。

 さ、福音の四季のメッセージです。

   松茸や知らぬ木の葉のへばりつく

 たぶん芭蕉の句だったと思いますが、戴いた新鮮な松茸にも名も知れぬ木の葉がへばりついていました。高価な贈り物ですねえ。まず土瓶蒸しにしていただきました。嬉しかったですね。でも私、パウロのこんなことばを思い出します。

 「私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」(ピリピ人への手紙4章17節)

 しばらく前に福島県下での集会でのことでした。私の聖書の話しが終わった時に一人の中年の御婦人がつかつかと前に出てこられて、「私の家族は『世の光』を聞いて次々に救われ、今年の夏で一人残らずイエス・キリストを信じて家族みんな生まれ変って新しくなりました。イエス様、ありがとうございます。『世の光』ありがとうございます。羽鳥先生もありがとうごさいます。」と言って、持ってこられた花束を私にくださいました。私は生涯、このことを忘れないで覚えていることでしょう。

 嬉しい贈り物、それは私たちの収支を償わせて余りある霊的祝福でした。いろいろの祝福があります。しかしどんな高価な贈り物にも勝る、今までの凡ての忍耐、凡ての労苦、凡ての祈りを償って余りある祝福があるのですね。

 聖書のことば。
私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」新約聖書ピリピ人への手紙4章17節のことばです。

 それではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.10.04放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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