♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■もう一つのいのち

2006年10月02日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー私がですね神学生つまり牧師になるための学校にいた頃のことなんですけれども、まあ今から何十年も前のことですが、仲間たちと一緒に新宿の西口の方でですね、道端に立って「イエス・キリストは私たちの救い主です」というようなことを言ってみんなで伝道・あかしをしてた訳なんですね。たくさんの人があの頃は聞いてたんですけれども、その中に戦争から帰ってきたばかりの人で腕を組みながら恐い顔をして睨みつけるようにして聞いていたんですけれども、(この人が)「質問!」と言ってですね、「キリストのためだったら命を捨てられるか?!」ってこう聞いたんですね。「もちろん捨てられます!」ってこう言っちゃったんですね。そしたら「キリストと命とどっちが大事だ?」っていって「もちろんキリストが大事です」「そんなら殺してやるから来い」と、こう言ってですね、その人が私を引っ張って行こうとしたんですよ。そしたら同じ学校の先輩が、やはりその人も兵隊から帰ってきた人で体は元気な人だったんですけれど、「私が行くから」と言って、で、その人が出て行ったら、相手の人が手にハンカチを巻いてですね、ボカーンと本当に殴ってきたんですよ。で、倒れたその上に馬乗りになって首をぎゅうぎゅう絞めながら「どうだ、やっぱりキリストよりも命の方が大事だろう!」ってこう言ったんですね。そしたらその首絞められてた先輩が、「いや、そんな事はありません」「何い? 殺さないと思って言ってんだろう、本当に殺すぞ!」ってこう言ったら、そしたら「私はあなたから命を取られても取られない、もう一つの命があるんです」と、こう言ったんです。そうしたらその人、びっくりしてですね、「何い? もう一つの命がある? 何だそれは?」「キリストは私を救うために命を捨ててくださったんです。私はこの命を取られても死なないもう一つの命をキリストから与えられているんです。」ってこう言った。そうしたら、「貴様みたいな奴に俺は会ったことがない。何だそのもう一つの命ってのは。俺にも話してくれ。」って言ってですね、「しかしお前はキリストのためだったら死んでもいいって本当だったんだなあ」と言って、こう涙を流しながら、「俺にももう一つの命って話しをしてくれ」って言ったその時のことを忘れることが出来ないんですねえ。

 イエス様が「わたしがいのちです」(ヨハネの福音書 14章6節)とおっしゃったその「いのち」というのは、この地上的な肉体的ないのちを超えた、もっと内面的な、この地上だけでは終わらない永遠に続くいのちのことを言ったんですね。永遠のいのちのことです。ですから「わたしがいのちです」とおっしゃったのは、このイエス・キリストを信じることによってその永遠のいのちを得ることができるという、そういう意味だったということなんですね。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.10.02放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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