世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
えー、ミケランジェロという有名な芸術家がおりましたよねえ。で、この方の弟子、その師匠であるミケランジェロの指導を受けて、そしてある彫刻を造りあげた。それが何ケ月もかかって造りあげた。その結果をその師匠であるミケランジェロが何て言ってくれるかなあということをずうっと気にしていて、そしてミケランジェロがそこを通ってそれを見てくれるその時をですね、ずうっと陰に隠れて、一体何て言ってくれるかなあというのでそうっと窺っていたそうなんですね。でミケランジェロがその彫刻をじいっとある時に見てそして最後に一言「うーん、これに命をさえ与えることができればねえ」ってこうひとこと言ってその場を去っていったということなんですねえ。それで弟子が言った。「あれはどういう意味なんだろう。あれは誉めたことなのか、それとも駄目だということなのか」って後から悩んだ末「あれはどういう意味だったんでしょうか」って聞いたら、「いやあ、これに命さえもし与えることができれば。それは本当にその命を与えることができるっていうのは神様しかできないことで、これが命がないのが残念だ。あくまでやっぱり造った物は造った物で、そういうふうな意味で誉めたんだ。」ということをまあ言われたというふうなことをまあ読んだことがある訳なんですよね。
命を与えることができるのは神様しかできないって、これはまさにそうですよね。イエス・キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネの福音書14章6節)というふうにおっしゃいました。「わたしがいのちである」ということの意味は、まさにそれは命の根源でいらっしゃる、そして命の賦与者・命を与えることができるお方、それは神様にしかできないことですねえ。イエス・キリストは私のためにこの地上においでくださって十字架において罪の贖(あがな)いを完成してくださった。そして死からよみがえってくださった。そのことを通して私たちに、あなたの人生もよみがえることができる、新しい命に生きることができるのだ、ただそれだけではなくって、やがて永遠にまで生きることができるのだということを私たちにはっきりと示してくださったお方ですね。イエス・キリストは「わたしがいのちだ。わたしを信じる者は・・・」(※)とおっしゃいましたけれども、この方を信じるならばその命を得ることができるということですねえ。
※ イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネの福音書11章25節)
( PBA制作「世の光」2006.10.23放送でのお話しより)
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