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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■耳が遠くて、聞こえないのではない / 福井 誠

2016年02月25日 | Weblog
2016/2/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「耳が遠くて聞こえないのではない」です。それではイザヤ書59章1節、2節から読んでみましょう。

 「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

 「なぜ神の助けが来ないのか、それは主の御手が短いからではない。その耳が遠いからでもない。私たちの内にある罪のゆえだ。罪が私たちと神との間で隔ての壁となり、神の祝福を受けさせないようにさせているのだ。」と言います。私たちの内にある罪が神の前で不利な証言をし、私たちを告発し、神の祝福から私たちを遠ざけている、というのです。

 実際に聖書が罪と言う時には、人を殺したり盗んだりという具体的な分かり易い行為のみを言うのではありません。聖書が言う罪はもっと内面的なこと、例えば心の中で「あいつなんか死んでしまえば良い」と思ったりすること、人を妬んだり羨んだり、苦々しい思いにくすぶり続けることを言いますね。けれどもそのような思いは誰にでもあるもの、そしてそのような思いがあればもはや神の祝福は受けられないとしたら、もう人間には絶望以外の何ものもありません。人間というのは神の裁きを受けるほかはない、全く哀れな存在ですね。

 しかしイザヤは神はさばき主であると同時に贖い主、つまり罪人に憐み深く救いを与えるお方であると語っています。神は自分の心の中に素直に罪深い思いがあることを認めて、悔い改める者、へりくだる者のそばにいてくださるお方です。自分の心には妬みの罪があるなあ、偽善の罪があるなあ、と罪人として生きている現実を自覚し、神の前にへりくだる者に憐み深くあると言うのです。神は正しいお方ですから私たちが自分の罪の現実に正直になるなら、その事を認めてくださいます。そしてその罪の泥沼の中から救われる力をも与えてくださるのです。
 
 ぜひ教会へ行って聖書に教えられて、私たちを愛し私たちの人生の歩みを変えてくださる神を知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2016.2.25放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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