2016/2/15放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
新約聖書のエペソ人への手紙の中にパウロの祈りが出てきます。こんな祈りです。
「キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」(エペソ 3章17節)
こんな祈りです。
どのようにしたらクリスチャンになれるですか?、と言う質問を時々受けることがあります。それは決して難しいことでありません。あなたの心の扉をノックしてくださっているイエス様に対して、「イエス様、あなたを人生の救い主として信じます。どうぞ私の心の真ん中にお入りください。」(参照 黙示録 3章20節)とお迎えした時からクリスチャンとしての生涯が始まっていくんです。そしてイエス様はそんなあなたに、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル 13章5節)と約束してくださるんですねえ。
それではどうしてパウロは「キリストがあなたがたの心のうちに住んでいてくださるように」と教会に書き送ったのでしょう。パウロのこの祈りの中にある「住む」と訳されることばは「定住する」とか「住み込む」という意味なんです。つまり、パウロはあなたがたの心に住んでくださっているイエス様が間借り人のような存在ではなく、心の真ん中に定住し、あなたの家長になってくださるように、という祈りをしているんですね。
私たちは心が混乱したり生活がずれてしまうことがたびたびありますが、そんな時、よく考えてみると、大抵自分勝手な自我というものが心の真ん中に座り込んでいるように思います。自分が、自分が、自分が、という自己中心の思いが心の真ん中にどかっと座っているんですね。そしていつの間にかイエス様を心の真ん中ではなくて、まるで地下室のようなところに閉じ込めてしまっているようなこともあるかもしれません。いつの間にかイエス様を崇めることを忘れ、聖書の約束に無感動になってしまうこともあります。
誰が心の中心にいるのか、自分自身かそれともキリストか。これは大きな問題です。だからパウロは、「キリストがあなたがたの心の内に住んでいてくださるように」、つまり、キリストがいつもあなたの心の真ん中におられるように、と祈っているんです。
イエス様は私たちの感情や気分で出たり入ったりするような方ではありません。あなたなキリストをお迎えしたならば、キリストはずっとあなたと共に住んでくださるのです。ですから私たちはイエス様をいつも心の真ん中にお迎えし、この方を崇め、礼拝して行きましょう。
(PBA制作「世の光」2016.2.15放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
新約聖書のエペソ人への手紙の中にパウロの祈りが出てきます。こんな祈りです。
「キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」(エペソ 3章17節)
こんな祈りです。
どのようにしたらクリスチャンになれるですか?、と言う質問を時々受けることがあります。それは決して難しいことでありません。あなたの心の扉をノックしてくださっているイエス様に対して、「イエス様、あなたを人生の救い主として信じます。どうぞ私の心の真ん中にお入りください。」(参照 黙示録 3章20節)とお迎えした時からクリスチャンとしての生涯が始まっていくんです。そしてイエス様はそんなあなたに、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル 13章5節)と約束してくださるんですねえ。
それではどうしてパウロは「キリストがあなたがたの心のうちに住んでいてくださるように」と教会に書き送ったのでしょう。パウロのこの祈りの中にある「住む」と訳されることばは「定住する」とか「住み込む」という意味なんです。つまり、パウロはあなたがたの心に住んでくださっているイエス様が間借り人のような存在ではなく、心の真ん中に定住し、あなたの家長になってくださるように、という祈りをしているんですね。
私たちは心が混乱したり生活がずれてしまうことがたびたびありますが、そんな時、よく考えてみると、大抵自分勝手な自我というものが心の真ん中に座り込んでいるように思います。自分が、自分が、自分が、という自己中心の思いが心の真ん中にどかっと座っているんですね。そしていつの間にかイエス様を心の真ん中ではなくて、まるで地下室のようなところに閉じ込めてしまっているようなこともあるかもしれません。いつの間にかイエス様を崇めることを忘れ、聖書の約束に無感動になってしまうこともあります。
誰が心の中心にいるのか、自分自身かそれともキリストか。これは大きな問題です。だからパウロは、「キリストがあなたがたの心の内に住んでいてくださるように」、つまり、キリストがいつもあなたの心の真ん中におられるように、と祈っているんです。
イエス様は私たちの感情や気分で出たり入ったりするような方ではありません。あなたなキリストをお迎えしたならば、キリストはずっとあなたと共に住んでくださるのです。ですから私たちはイエス様をいつも心の真ん中にお迎えし、この方を崇め、礼拝して行きましょう。
(PBA制作「世の光」2016.2.15放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。