2016/2/1放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
私たちは頭で理解していることと体験して得たこととの間にギャップを感がることがありますよねえ。例えば水泳のことを考えてみましょう。頭で考えれば誰だって泳げるはずです。人の体は比重の関係で水に浮くことになっていますからねえ。だから手足を動かせば自然に前に進むはずです。ところが実際には泳げない人はたくさんいますね。水の中で力を抜いて浮力に任せて浮くという感覚が掴めないからです。議論と実際との間にはギャップがあるわけですね。そのギャップを埋めるためには実際に水に入ってそして水に慣れ、体験的に身につけていことが必要なんです。頭で理解していてもプールサイドで見ているだけではいつまで経っても泳げるようにはなりませんよね。聖書を理解するということも実はそれと似ている所があるんです。聖書のことばをただ知っているというだけでは十分ではありません。その聖書の約束のことばの中に飛び込んで、その約束に実際に生きてみることによって、聖書の語っている事を体験的に味わうことができるようになっていくんです。
例えば祈りについて、聖書には新約聖書第一ヨハネの手紙5章14節にこう書かれています。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」 こう記されています。でもこのことばを知っていても実際に祈り願い求めていなければ決して確信を持つことができませんよね。実際にすべての権威をもっておられるイエス・キリストのお名前によって祈り求めていくときに、神様はご自分の御心のままに祈りに応えてくださるのだと分かって来るんです。
私は大学生の時、ほんとに祈りは聞かれるんだろうか?と思い、こんなことをしたんです。それは1冊のノート買ってきて、祈った祈りを細かく日付と共に箇条書きして行きました。そして祈りが答えられたらその箇所を赤ペンで消して行こうと思ったんです。するとどうでしょうか、確かに自分勝手な祈りというのはですねえ聞かれませんでしたけれども、そのノートは赤ペンで真っ赤になっていたんです。確かに祈りは答えられるんだなと確信したんですね。聖書を理解し知るということは、聖書が約束してることを信じ受け取り実際に生きてみることなんです。少しばかりの勇気と冒険心が必要ですが、決して失望に終わらないんです。
(PBA制作「世の光」2016.2.1放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
私たちは頭で理解していることと体験して得たこととの間にギャップを感がることがありますよねえ。例えば水泳のことを考えてみましょう。頭で考えれば誰だって泳げるはずです。人の体は比重の関係で水に浮くことになっていますからねえ。だから手足を動かせば自然に前に進むはずです。ところが実際には泳げない人はたくさんいますね。水の中で力を抜いて浮力に任せて浮くという感覚が掴めないからです。議論と実際との間にはギャップがあるわけですね。そのギャップを埋めるためには実際に水に入ってそして水に慣れ、体験的に身につけていことが必要なんです。頭で理解していてもプールサイドで見ているだけではいつまで経っても泳げるようにはなりませんよね。聖書を理解するということも実はそれと似ている所があるんです。聖書のことばをただ知っているというだけでは十分ではありません。その聖書の約束のことばの中に飛び込んで、その約束に実際に生きてみることによって、聖書の語っている事を体験的に味わうことができるようになっていくんです。
例えば祈りについて、聖書には新約聖書第一ヨハネの手紙5章14節にこう書かれています。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」 こう記されています。でもこのことばを知っていても実際に祈り願い求めていなければ決して確信を持つことができませんよね。実際にすべての権威をもっておられるイエス・キリストのお名前によって祈り求めていくときに、神様はご自分の御心のままに祈りに応えてくださるのだと分かって来るんです。
私は大学生の時、ほんとに祈りは聞かれるんだろうか?と思い、こんなことをしたんです。それは1冊のノート買ってきて、祈った祈りを細かく日付と共に箇条書きして行きました。そして祈りが答えられたらその箇所を赤ペンで消して行こうと思ったんです。するとどうでしょうか、確かに自分勝手な祈りというのはですねえ聞かれませんでしたけれども、そのノートは赤ペンで真っ赤になっていたんです。確かに祈りは答えられるんだなと確信したんですね。聖書を理解し知るということは、聖書が約束してることを信じ受け取り実際に生きてみることなんです。少しばかりの勇気と冒険心が必要ですが、決して失望に終わらないんです。
(PBA制作「世の光」2016.2.1放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。