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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■忌まわしい連中(その一) / 板倉邦雄

2016年02月03日 | Weblog
2016/2/3放送

 (バイブル・メッセンジャーは板倉邦雄牧師です。よろしくお願いいたします。新約聖書のルカの福音書から連続でお話しいただいていますが、この所、イエス・キリストとパリサイ派の人々との議論が続いてますよねえ。あのう、改めてパリサイ派というのはどういう人たちなんでしょうか。)
 はい、このパリサイ派はですね、多分紀元前から興ったユダヤ教の一派だと思います。で他にですねサドカイ派とかエッセネ派とか熱心党というそういうグループがありましたね。
(みんなユダヤ教のグループなんですね?)
 そうでね。そして特にこのパリサイ派というのはそのようなグループの中で一番大きなグループだったようですね。で、このパリサイという意味は「分離した者」とかね、分離主義者とこう呼ばれておりましてね。
 (何から分離するんですか?)
 それはですね、モーセの律法を守らない人、守れない人、そういう人から分離するんですね。で、自分は正しい清い人間でありたい、と。ですからこのモーセの律法を一所懸命に厳格に守ろうとした人たちなんですね。
 (ある意味で、非常に真面目な人たちだった訳ですね?)
 そうなんです。真面目な人。でもなかなか現実的にはその律法を教えたりしているんですけど守れない。あるでしょ? 私たちも規則ね、いっぱいあるけどね。
 (別に破ろうと思わなくても、守れないことはいっぱいありますよね。)
 学校の先生にいつも注意されてたでしょ? 
 (はい。されてました。)
 そうだね。だから私たちはこの規則を守ったりすれば良い人間にはならない、ということだね。守れないからね。
 (イエス様は良くパリサイ派の人と対立してましたけれど、イエス様は、守れないんだ人間はそういうことが、というのは分かっていらして、人間に近い所でいろんなことを教えてくださってたということですね?)
 そうだね。弱い人間をほんとに素直に自分で認めてその上でほんとに神様から力をいただいて生きるようにっていう、そういうことをねイエス様は願ってたんですよ。

 (はい。それではさっそくバイブル・メッセージをお願いします。)
 今日はですね、「忌まわしい連中(その一)」という題でお話ししましょう。

 忌まわしい連中とは、平たく言いますと嫌な奴、不吉な連中と言うことでしょうか。漢字からしますと、忌まわしいという字は心の上に己が載っていますので、自分中心の連中ですかねえ。

 さてイエス様はパリサイ派の人々を目の前にしてこう言いました。
 「あなたがたパリサイ・分離主義者たちは実に忌まわしい連中だ。どんなわずかな収入でも実に几帳面に10分の1を捧げていながら、正義とか神様を愛することなどは綺麗さっぱり忘れているからだ。もちろん10分の1を捧げることも大事なことだ。しかしもっと大切なことをなおざりにしては意味がありません。」(参照 ルカ 11章42節)

 さて、忌まわしい連中の第一の特徴は、優先順位を無視する連中だと言うことですね。
 次にイエス様はこう言いました。
 「あなたがたパリサイ・分離主義者たちは実に忌まわしい連中だ。会堂で特別席に座ったり市場を歩いていてみんなから丁寧な挨拶を受けたりするのが何よりの楽しみであり、大好きです。」(参照 ルカ 11章43節)

 そこで忌まわしい連中の第二は、人から良く思われたい連中だと言うことです。人からの評価だけを気にしている連中です。そのために人の前でコロコロと自分の色を変える人ではないでしょうか。人と自分をいつも比べてばかりいるのでしょう。自分より劣っている人を見ると高ぶり、自分よりも優れた人を見ると劣等感に陥るのです。温度計のような上がったり下がったりしている連中です。すなわち自分自身が無いのです。

 忌まわしい連中の第三はどんな人でしょうか。イエス様はこう言われました。
 「あなたがたはまるで野原にある人目につかないお墓みたいです。人々は汚れたものが近くにあるとは気づかず、平気であなたがたのそばを通り過ぎるのです。」(参照 ルカ 11章44節)

 忌まわしい連中の第三は、汚(きたな)い連中です。お墓の中は腐った死体や骨で一杯です。忌まわしい連中は、表面は分りませんけれども根性が腐った連中です。義理も人情もなく、優しさも思いやりもないのです。出て来るのは汚いゴミや悪臭です。

 私たちは、イエス様から忌まわしい連中だと言われる人になりたくないものですね。優先順位をいつも考え、人と自分を比べてばかりいないで潔い人となりたいものです。

 (PBA制作「さわやか世の光」2016.2.3放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■十の言葉 (十戒その一) / 板倉邦雄

2016年02月03日 | Weblog
2016/2/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「十の言葉」という題でお話ししましょう。

 これから一般に「十戒」と呼ばれている十のことばを11回ぐらいに分けてお話ししたいと思っています。

 まず始めに、なぜ十のことば十戒が私たちの人生において大切なものなのか、ということです。それは私たちが幸せになり、この世で人生を全うすることになるからです。

 ではいよいよ十戒の序論に入りましょう。

 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」(出エジプト記20章2節 口語訳聖書)

 このことばが十の戒めの前提、基礎となっているのです。この前提、この基礎がなければどんな素晴らしいことばであろうと戒めであろうと砂上の楼閣となるでしょう。私たちにとって役にも立たず慰めや力にもならないのです。

 では、「わたしはあなたの神、主である。」 この神のことばはどういう意味でしょうか。それは、わたしはあなたの創造主なる神である、あなたを守り支え治めている摂理の神である、という意味ではないでしょうか。主こそ神であることを知れ、我らを造られた者は主であって我らは主のものである、と聖書にあります。私の権利は私を造られ私を治める神である主にあるのです。

 もう一つの前提は、「あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」と言う点です。奴隷は自分で自分を買い戻すことはできません。溺れた人が自分で自分を救助できないのと同じです。神である主はただ恵みによって一方的にイスラエルの人々をエジプトの地、奴隷の家から導き出してくださったのです。

この神である主は2000年前、人の子イエス・キリストとなってこの世に、贖いの神、救いの神として来てくださいました。私たちはこの世の罪の奴隷から買い戻されて、神である主のものとするために来てくださったのです。私たちは神である主が私の創造主であり、私の贖い主で救い主であるということにおいて敬い感謝し、十の戒めに従ってゆくのです。

 (PBA制作「世の光」2016.2.3放送でのお話より )

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