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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■天の故郷を仰ぎ見るモーセ/羽鳥頼和

2016年02月13日 | Weblog
2016/2/13放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書民数記20章からお話しします。

 ここにはモーセとアロンの失敗が記されています。エジプトを脱出してから40年目、神の約束の地に入ろうとしている頃の出来事です。水がなくなってしまい、人々はその不平不満をモーセたちにぶつけました。(参照 2~5節)

 神は、「杖を取れ。岩に命じれば岩は水を出す。」と言われました。(参照 8節)

 ところがモーセたちは神の命じられた通り行わないで、人々にこう言いました。
 「逆らう者たちよ。この岩から私たちが水を出さなければならないのか。」(参照 10節)

 そして杖で岩を二度打ったのです。するとたくさんの水が湧き出ました。(参照 11節)

 しかし神は彼らが自分のことば通り行わなかったことを咎めて言われました。
 「あなたがたは約束の地に入ることはできない。」(参照 12節)

 その後、間もなくアロンは死にました。モーセは約束の地を遠くから見る機会を与えられ、そこで死ぬことになります。モーセたちは約束の地に入ることができなかったのです。

 しかし聖書はモーセたちが不幸せだったとは言っていません。
 新約聖書のヘブル人への手紙11章はこのように言っています。

 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え・・・ていたのです。彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。・・・事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」(ヘブル 11章13節、16節)

 モーセたちは天の故郷である天国に憧れながら神を信じて一所懸命に生きたのです。信仰の人として生きたモーセたちに神は天国をちゃんと用意しておられたのです。

 神は私たちにも天国に住まいを用意してくださっています。このことを覚えて聖書は人生をマラソンのような競争に喩えてこのように言っています。
 「私たちも、・・・・・・を捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル 12章1節、2節)

 いつもイエスから目を離さないでいるなら、私たちは罪を嫌い、罪を犯すことをやめようと決心することができます。そして信仰の人として歩むことができるのです。

 明日は日曜日です。キリストをしっかりと覚えるために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2016.2.13放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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