♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■導きとは / 岩井基雄

2013年10月18日 | Weblog
2013/10/18放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んで(みましょう。

 今日は「導き」です。私たちクリスチャンはよく人生の様々な場面で、「私は導かれて」とか「神様の導きによって」というような表現をします。あらゆる事柄に偶然を越えた神の不思議な御手が働くことを意味しているのですが、この表現を奇異に感じたり、人間の責任を回避しているように感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。しかしこの「神の導き」という表現の背後には、自分の責任の放棄ではなく、反対に責任を誠実に果たし後の結果は神様に信頼して任せるという姿勢があります。その全体を「神の導き」と表現するのですね。

神の民イスラエルはエジプトで400年に及ぶ奴隷の経験をしました。彼らを解放し、約束の地に導いたモーセの背後には神がおられ、神がイスラエルの民を導かれたです。聖書はこう表現しています。
 「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
 旧約聖書 出エジプト記13章21節

 昼も夜も明るい日も闇の日も神の民イスラエルは神の導きに従い、周りも分からず、進むべき道も見えない荒野の中を約束の地へと前進して行きました。神の導きに従う歩みは神の祝福に向かう歩みともなっていったのです。
 しかしその道筋は決して順調ではなく、神は敢えて困難へと導くこともあり、苦難や飢えや渇きを経験する中で彼らは神に信頼し続け、神に従う者とされ、変えれていったのです。

 また詩篇ではイスラエルの歩みについて次のように記しています。

 「彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。

 詩篇107篇4節から6節

 試練の中で神の民は神に向かって叫び、神は彼らを苦難の中から救い出し、ゆくべき道を示されたのです。あなたも神に導かれ祝福と恵みを受け取る人生を進んで行きませんか? 


 (PBA制作「世の光」2013.10.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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