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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私の苦しみの子 / 板倉邦雄

2013年10月30日 | Weblog
2013/10/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「私の苦しみの子」という題でお話ししましょう。

 ヤコブが愛した妻ラケルが息を引き取る床で最後にあげた声は「ベノニ」---私の苦しみの子---でした。父ヤコブはこの子どもをベニヤミン・「右手の子」と名付けます。創世記35章の続きです。

 さてヤコブ一族はベテルからベツレヘムへ向かう旅の途中になりました。妻ラケルは突然陣痛に掴まえれてしまいました。激しい苦痛がラケルを襲いました。その出産は「重かった」(16節)とあります。死の陣痛がラケルを襲った時、産婆は息が絶えようとするラケルに向かって「心配しなくても良いですよ。お子さんは無事に産まれましたよ。今度も男の子です。」と叫びました。瀕死の母ラケルにとってそれは歓喜に至る音楽ではなかったでしょうか。そしてラケルはかすかな声でつぶやくのです。「ベノニ---私の苦しみの子、私の嘆きの子ども---」と。

 聖書の創世記はこのように書き残します。

 「彼女(ラケル)は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。」(18節) (口語訳聖書)

 ラケルという女性の生涯は、母となるという思いに集中していたのではないかと思えてなりません。人は生きたように死んでゆく、とよく言われるからです。ラケルはその容姿のゆえに夫ヤコブから愛されました。何とヤコブはラケルと結婚するために14年もおじラバンの家で労働しました。ラケルは静かな忍耐強い愛情を受けたのです。しかしラケルは夫の愛に満足することはありませんでした。ラケルの全人格は母となることに集中していたのです。姉のレアが夫ヤコブに子どもを産むたびに激しい嫉妬に身も心も焼き尽くし、初めてヨセフを出産し母親となった時、有頂天になり誇りたかぶりました。そして母となることにおいて死を迎えたのです。

 ベノニ・「私の苦しみの子」というラケルのことばは、やがて民族を襲う苦難と悲劇の歴史を彩る預言となるのです。

 聖書のことばです。

 「主は言われる。ラマで一つの声が聞こえる。悲しみの、そして痛ましい嘆きの声である。ラケルがその子らのために嘆いているのである。」エレミヤ書31章15節 (私訳?)

(PBA制作「世の光」2013.10.30放送でのお話より )
 
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