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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■墓のようなもの / 福井 誠

2012年11月29日 | Weblog
2012/11/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「墓のようなもの」です。それではマタイの福音書の23章27節から読んでみましょう。

 「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

 その昔イスラエルでは自然にできた洞穴を利用して墓を造ることが多かったとされます。しかも毎年アダルの月の15日にはつまり今の暦では2月から3月になるのですが、そうした墓を白く塗りなおしていました。美観や装飾のためではありません。過ぎ越しの祭りの備えをするためだったのです。つまりユダヤ人は死体に触れたものは穢れると考えていましたから、大切な年中行事の過ぎ越しの祭りの前に間違って墓に触れて死体の汚れが移ってしまうことが無いように、と墓を見分け易くしたのです。こうして毎年白く塗り直される墓はパレスチナの燦々と照り輝く日に美しく輝いたとすら言われます。

 ところでイエスはこの綺麗に塗り直された墓を見ながらそれが当時の宗教家の姿を象徴していると指摘しています。つまり外側は美しく見えても内側には骨と死体が同じように当時の宗教家も外見こそ立派で正しい人に見えても心の内にはいろいろと意地悪な思い、浅ましい妬み、憎しみが渦巻いているというわけです。実際にヨハネの福音書を読むと、パリサイ人の代表的な指導者であったニコデモもそういう矛盾で悩んでいたことが分ります。

 ニコデモはある夜イエスのもとに来て教えを請うています。そんなニコデモに対してイエスは「誰でも新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」(ヨハネ 3章3節参照)と率直におっしゃいました。

 私たちはみな自分たちがそれほど立派な人間ではないことは分かっています。善人の仮面の裏にどうしようもない罪人の現実があることは知っています。そういう矛盾した現実をどうしたら良いものでしょう。救ってくださるのがイエス様であることを覚えたいものですね。イエス様の十字架に罪の赦しがあり、心の癒しときよめがあるということを覚えてイエス様を信じていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.11.29放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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