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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■「平安」とは / 岩井基雄

2012年11月16日 | Weblog
2012/11/16放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。キリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「平安」についてです。

 この平安ということばは一般には「安らかで変わったことのないこと。無事平穏なこと、またそのさま。」を表すようです。しかし聖書が語る平安という表現はちょっと違っています。新約聖書に次のようなイエス・キリストのことばがあります。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 新約聖書ヨハネの福音書14章27節

 この世が与える平安とキリストが与える平安はどう違うのでしょうか。世が与える平安は「問題が無い、心配や不安の無い状態」を指します。しかしイエス・キリストが与える平安は「問題や不安や恐れの伴う状況があったとしても揺るがされない本物の平安」だというのですね。それはイエス・キリストが人間の不安や恐れの根本の原因となる罪の問題や死の問題に勝利してくださったからです。

 イエス・キリストは実際に弟子たちに数々の平安を示されました。嵐のガリラヤ湖の揺れ動く小舟の上で恐れ惑う弟子たちを前にしてイエス・キリストは全く平安であり、嵐をも静める権威を持っておられました。またこのヨハネの福音書に語られているのはイエスが十字架にかけられる前夜、弟子たちに残したメッセージです。十字架に対する不安や恐怖、イエスの死について恐れている弟子たちに対して、イエスはすべてを超えた真の平安をあなたがたに残すと語られたのです。それは十字架の死の三日目のよみがえり、すなわち死に対する完全な勝利と永遠のいのちを指していました。イエス・キリストが与えられる平安は肉体の死さえも恐れる必要のない本物の勝利から来る豊かな平安なのです。あなたにもこの力強い平安は用意されています。あなたもこの平安を自分のものとして受け取り、死も恐れも超える本当に平安な人生を歩み始めませんか? 

(PBA制作「世の光」2012.11.16放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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