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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■アブラハムの試練(2)/ 板倉邦雄

2012年11月07日 | Weblog
2012/11/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「アブラハムの試練 その二」としましてお話ししましょう。

 「わが子を手にかけて犠牲として捧げなさい。」、主なる神様にそのように求められたらどうしますか? しかも先には「わたしはあなたを大いなる国民にしよう。」と約束しながら大いなる国民の源となる一人息子イサクを「捧げよ」というのです。矛盾に満ちた命令ですねえ。アブラハムの試練とはそのようなものでした。創世記22章、アブラハムの試練の続きです。

 さてモリヤの山に着いたアブラハムはロバから全焼のいけにえを燃やす薪を取ると一人息子イサクに負わせました。それから父は火打ち石と刃物を持ち、一緒にモリヤの山頂に向かいました。

 しばらく山道を上ると息子イサクは父に尋ねました。「お父さん。火と薪はありますが全焼のいけにえとなる子羊はどこにありますか?」 父アブラハムは答えました。「息子よ、神みずから全焼のいけにえの子羊を備えてくださるはずだ。」
 
 そののち、黙々と二人は山頂を目指します。親の心を知らない息子、それでも父親に従う息子、愛するわが子に手を掛けなければならない父親の心の痛みと悲しみが伝わって来るようですねえ。

 父と子は神様の示された場所に着きました。父アブラハムはそこに石で祭壇を築き、その上に薪を並べました。そして自分の独り子を縄で縛ると祭壇の薪の上に載せたのです。息子イサクは父の心に従順でした。

 ところでイサクの姿はイエス・キリストの雛型でした。イサクの姿はイエス・キリストの影だったのです。影をたどって行きますと本体であるイエス・キリストが現れて来るのです。

 イエス・キリストは父なる神様の独り子でした。しかも愛された息子でした。次にイエス・キリストは十字架を背負いました自分が死ぬべき十字架の木を背負ったのです。そしてしかも十字架の死に至るまで父なる神様の心に従順でしたね。

 聖書のことばです。

 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
 ヨハネの福音書3章16節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2012.11.7放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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