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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■少しの力があれば / 羽鳥頼和

2012年11月24日 | Weblog
2012/11/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 アメリカにフィラデルフィアという都市があります。ペンシルバニア州の都市でアメリカの独立にゆかりの地であり、独立記念館や自由の鐘があります。実はこの地名は新約聖書の黙示録3章に出て来るのです。聖書にはフィラデルフィアの教会に対する神様の賞賛のことばが記されているのです。

 その賞賛のことばとはどんなものでしょう。それは「わたしは、あなたの行ないを知っている。・・・あなたには少しばかりの力があって、わたし(イエス/神)のことばを守り、わたし(イエス/神)の名を否まなかった・・・。」(黙示録 3章8節)ということばです。

 「少しばかりの力があって」と聞くとそんなに大したことじゃないように感じてしまいますね。しかしそうではないのです。黙示録が書かれた当時の社会のことを忘れてはなりません。黙示録が書かれた時代はローマ皇帝がキリスト教を迫害していた時代であると考えられます。そんな時代に神の名を否まなかったということは、神様だけを礼拝し皇帝を崇拝しないということです。そうすることは死刑を意味していたのです。フィラデルフィアの教会が「神のことばを守り神の名を否まなかった」ということは本当に命がけのことだったのです。

 それでは何でそんなすごいことなのに「少しばかりの力があって」と語られているのでしょう。私はこう考えます。フィラデルフィアの人々の力とは彼らの心、彼らの決心だったのではないでしょうか。それは彼らの信仰とも言えるでしょう。フィラデルフィアの人々は、私たちは神様を信じようと決心し、「神様以外のものを拝んではならない」という神様の教えを守ろう、という決心をしたのでしょう。そして神様は彼らの決心、彼らのそのような信仰を知って彼らを守ってくださったのです。彼らの決心はその決心を実現するには小さな力でした。しかしその決心を彼らの信仰と見られた神様が彼らの決心を成し遂げさせてくださったのです。

 ペテロの手紙第一1章5節には「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。」とあります。あなたもまことの神様を信じて神様に従う決心をしませんか? そのような決心をするならば、神様はあなたを救ってくださいます。

(PBA制作「世の光」2012.11.24放送でのお話より )

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