2025/4/18放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
今日はイエス・キリストが十字架につけられた受難日です。
イエス様は総督ピラトの元で審問を受けましたが、ピラトはイエス様の中に何の罪も見い出すことができませんでした。
そこでイエス様をむち打ち、人々の前に惨めな姿をさらしたのです。
しかし、周りの顔色ばかりを見ていた総督ピラトは、民衆の声に負けてイエス様を十字架刑に引き渡しました。
十字架刑はゴルゴタ・「どくろ」と名付けられた不気味な処刑場で行われました。そこでイエス・キリストは十字架に釘付けされたのです。
処刑場には三本の十字架が立てられました。真ん中の十字架にはイエス様が、そして左右の十字架には極悪な犯罪人がつけられたのです。両手首と重ねた足に太い釘が打ちつけられ、その三点で全体重を支えなければなりません。十字架が垂直に立てられると、想像を絶する苦しみが始まりました。
その激しい痛みの中でイエス様はこう言われたのです。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分で何をしているのか分かっていないのです。」
なんと、最初にイエス様はあの兵隊、周りの群衆たちのために執り成し、赦しを祈ったのです。
イエス様の十字架の両側には二人の犯罪人が十字架につけられていました。その一人がイエス様に、「お前はキリストではないか。自分とおれたちを救え!」とわめきちらしていました。
しかしもう一人は、極限の状況の中で彼をたしなめて言いました。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」 こう言ったのです。
そしてイエス様に向かって、「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください」と告白しました。
するとイエス様は、「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束されたのです。
この犯罪人は、それまで神を畏れることなどあったでしょうか? 「これで俺の人生も終わりだ。ああ、なんと虚しい惨めな人生だったことか。」と考えたかもしれません。
しかしそんな絶望と極度の苦痛の中で、傍(かたわ)らにイエス様の姿を見たのです。希望のかけらすら見い出すことのできない十字架の上で、イエス様の約束のことばは永遠へと導く希望の光となっていったのです。
( PBA制作「世の光」 2025.4.18放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは 「世の光 文字」で 検索