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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエスは復活された・イエスは誰なのか /田村治郎

2025年07月21日 | Weblog

2025/4/21放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。今週一週間、担当いたしますグレース宣教会牧師・ハンガーゼロ巡回牧師の田村治郎です。

 イースターの前の週の日曜日は「棕櫚の日曜日」と言って、イエスが子ロバに乗ってエルサレムに入城された日です。
 ロバというのは荷物を乗せ運搬の道具として用いられ、その子どもである子ロバの背に乗られるとは、何か滑稽な姿に見えます。

 しかし、これは旧約聖書ゼカリヤ書9章9節
 「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って」
 の預言にあるように、メシアの姿そのものです。

 過越の祭というユダヤでは最も大切な祭りが行われており、多くの人々がエルサレムに集まっていました。人々のメシアを待望する目は、「ホサナ、ホサナ、主よお救いください!」と救い主メシアを讃える叫びをもってイエスのこの姿に釘付けとなります。
 しかし、当時のユダヤ人たちが待ち望んでいたメシアとは、異邦人ローマの支配から力・武力を持って回復し、新たな神殿を打ち立てる力強いお方です。
 それは、神様のご計画としてのメシア、「すべての人々の罪をその身に負って贖いを成し遂げる」存在ではありませんでした。
 イエスのエルサレム入城を歓喜を持って迎え入れた群衆は、決して本来の神様の計画を理解したものでなく、皆イエスの力あるわざ、メシアのしるしを「力による回復」に重ね合わせていました。

 子ろばに乗って入城されるイエスの姿を見て、地方から来ていたイエスを知らない人々は戸惑います。「この人は誰なのか。」 イエスの言動に憤りを覚える当時の宗教家たちや、ただ戸惑う人々にはイエスを受け入れる心はなく、頑なに拒絶するようになっていきました。

 その後の金曜日には、当初歓喜でイエスを迎えた人々も手の平を返すように「十字架につけろ!」と呪うようになりました。理由は明確です。自分たちの望むメシアではなかったので同じ口から賛美と呪いが出てきたのです。

 「この人は誰なのか」「私たちにとってイエス・キリストは誰なのか」 ただ神を冒涜する異常者なのか? それとも自らのいのちを捨てるほどに私たちを愛して、私たちの罪を赦し、永遠のいのちの希望に生かしてくださるメシア、救い主なのでしょうか。


 ( PBA制作「世の光」 2025.4.21放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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