ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

戦国時代の歴史を伝える依藤野の墓

2011年07月03日 06時55分35秒 | Weblog
 加東市の中央部に広がる嬉野台地。この台地を東西に貫く県道を社から東条に向かって走っていると、兵教大前の交叉点を過ぎ、自動車教習所を右手に見ながら道路は大きく右に左にカーブをしながら東条谷に下る長い坂道に入ります。その直前のカーブの右手に2基の墓石があります。
 これが冷泉為勝と依藤太郎左衛門の墓です。嬉野台地の東の一帯は依藤野とよばれています。これは、15世紀から16世紀にかけて東条谷を支配していた土豪の依藤太郎左衛門がこの地で討死したことから付いた地名だといわれています。
 依藤氏は小沢城(加東市小沢)、小田城(小野市小田)を本拠とし、東条川流域を支配する土豪でしたが、嘉吉の乱(1441)で将軍足利義教が殺されてから、播磨は不安定な状況になり、各地でこうした土豪が勢力を張り合っていました。
 16世紀の前半頃には、三木を支配していた別所氏が勢力を広げ、依藤氏は敵対していましたが、天正6年(1578)に別所長治が細川荘(三木市)の冷泉為勝を攻めたときに、依藤太郎左衛門は兵を率いて別所氏と戦い、戦さに敗れてこの依藤野の地で死んだということです。
 道路脇に車を止めて撮影しました。今から430年余り前、この地にそんな歴史があったことを伝えてくれる墓碑です。
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