地元の旧家からいただいた古いチラシの中に、昭和5年(1930)の中国(当時は中華民国。支那と呼んでいた)東沿岸の北平(今の北京)、上海の視察旅行の相談(計画)案内がありました。主催は日本旅行会事務所で、東海道草津駅に置かれています。現在ある日本旅行の発祥は滋賀県草津であり、鉄道を利用した団体旅行を企画し、そこから発展しています。この歴史ブログでも、団体旅行の募集広告を掲載してきました。
今回の海外視察団の旅行の計画は以下の通りです。
一、期日 昭和6年5月6日出発、20日間
一、使用船 あめりか丸(6200トン)借切
一、定員 一等40人、、二等80人、乙二等200人(本船普通ノ定員、約600名ナレド特別ノ設備ヲ施ス為200名トナル)
一、設備 三等を全廃し、大部分の船室を改造して5名乃至6名宛の小部屋に仕切り美しきカーテンを繞らし、小間毎に電灯を取り付け、二等同様清潔快適の寝具を設備し、食事は二等と同等とす。
一、鉄道 支那の鉄道はすべて二等車借切。
となっていました。さらにこの旅行計画の特長として、個人旅行の場合、都合のよい日程の船便を捜す苦労、日程も倍はかかる、費用も多額になることから、汽車、汽船とも借り切りの団体旅行の方が安心、苦労なし、小額であると記されていました。
昭和5年当時、蒋介石指揮下の国民政府が中国を統一していました。翌年には満州事変が勃発します。そうした情勢下に北平(北京)、上海視察旅行計画が立てられたということだったのでしょう。実際にこの視察旅行が実現したのかどうか分かりませんが、大団体旅行ですね。今流行りの豪華客船によるクルージングのような感じでしょうか。
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