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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

湖底に沈んだ村-土井

2006年11月10日 19時54分42秒 | Weblog
沈む前の土井

 ここに一枚の写真があります。ダムに沈む前の土井の全景です。
中央の○印が、ダム建設位置にあたります。写真を見ると、土井は周囲を山に囲まれた典型的な盆地の地形であることがわかります。○印の場所が鴨川が流れ出るただ1つの裂け目になっていたのです。
 大正時代の末に加東郡市場村村長だった近藤準吉が残した「天恵の地形、土井は池になる」という有名な言葉は、まさにこの○印の裂け目をせきとめれば、大きな池になる、ということだったのです。
 大正時代末に干ばつに悩んでいた加古川流域の人々は、東播農業開発期成同盟会をつくって大規模な農業用水確保の計画を立て国会に陳情を行いました。しかし、時代は戦争へと進み、ダム建設の計画実現は遠のきました。

 日本が戦争に敗れたあと、食糧難の問題が起こりました。食糧増産が緊急課題となり、再びダム建設の話が浮上しました。GHQも現地視察を行い、昭和22年(1947)には上東条村(旧東条町)に国営東条川農業水利事業所が開設され、事業を進めていったのでした。

 土井の人々にとっては「土井は池になる」といわれて以来、静かで平穏な日々の生活はぐらつきました。戦争の時代には「水上機の発着場になる」という話も出たといいます。戦後、ダム建設の話が急展開するなかで、土井の人々は立ち退きという現実の問題に直面したのです。
 

 
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