

加東市喜田地区の旧道を車で走っているとき、古い鉄製の警鐘台(火の見櫓)の前を通り過ぎました。古い消防器具庫と思われる建物もありました。ふと、ブレーキをかけてバックでその前まで戻りました。その警鐘台のすぐ側に立っている国旗掲揚柱の台石が気になったのです。
その石柱には、正面に大きく「大詔奉戴記念」と刻まれていました。側面には、「喜田男女青年団」、反対側の側面に「昭和十六年十二月建立」と建立者と建立年が刻まれていました。
大詔とは、大東亜戦争開戦の詔のことであり、正しくは「米国及び英国に対する宣戦の詔」(昭和16年12月8日)です。米英に対して、自存自衛のために戦いを始めるとの宣言でした。その詔に応えて喜田青年団が建立したのがこの国旗掲揚柱であったのでしょう。今から77年前の日本国民、青年の決意、覚悟が伝わってくるようです。今はひっそりと立っています。この掲揚柱に国旗が揚げられることはあるのでしょうか。
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