ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

滝見橋から見た加古川舟運の新町河岸跡

2020年10月06日 04時41分25秒 | Weblog
 

 3日の朝、加東市新町から対岸の上滝野に架かる滝見橋を歩きました。今年7月に開通したばかりの新滝見橋の上からは、上流に旧滝見橋と向こうに闘龍灘と闘龍橋が、そして下流には、姫滝が望めます。そして、眼下に加古川舟運の高瀬舟が着いた新町の河岸跡が一望できました。
 新町は今から400年余り前に、加古川の舟運の町として新たに開かれたました。近郷の村々から年貢米がこの新町に運ばれ、高瀬舟に積み込まれ、河口の高砂まで運ばれます。さらに海路、大坂まで運ばれました。陸路を大阪まで運ぶより、河川や海路を使って船で運んだ方が大量に運べたわけです。その高瀬舟が着いた河川港の岩場がよく見えました。
 実際にその岩場に降りてみると、岩のあちこちに四角の穴があいています。高瀬舟をつなぎ止める棒をさす穴だと聞いています。米俵などの物資だけでなく、修学旅行の子供を乗せて下ることもあったそうです。新旧滝見橋を見上げながら、そんな光景を想像してみました。
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