昨日に続いて、上月輝夫先生の歴史メモから紹介します。その中に、加東市社の佐保神社の明神講に関するものがありました。以前、このブログで、明神講について紹介したことがありますが、私も講員の一人でその歴史に興味があります。『佐保神社誌』によれば、明神講は、佐保神社附属の講社で、明神を祭る敬神結社のことだとあります。昔は正月・5月・9月の年3回開講されていたようですが、明治以降は、春と秋の年2回の開講になっています。
上月輝夫先生のメモには、文化12年(1815)の頃の連名帳には、26人の講員の名が記されており、文政9年(1826)には、18人の名が期されているとのことです。200年以上前に明神講が組織されており、講員の数は30人前後で増減してきたと聞いています。
〈文化の頃の講員の連名帳の屋号〉
東實屋 廣野屋 わた屋 たばこ屋 ならや 三木屋 たまや 表具屋 きく屋 富士屋 かわら屋 いずみ屋 うをや 信濃屋 こめや 家原屋 かどや おけや 吉田屋 福田屋 大工 八百屋
〈文政の頃の講員の連名帳の屋号〉
山屋 かしや 東實屋 東實や 廣野屋 柴や 木梨屋 丸や ふろ屋 廣野屋 吉田屋 廣野屋 吉田屋 角屋 八百屋 角屋 米屋 良の屋
などです。廣野、東實、木梨、家原などの地名、わた、たばこ、うを、ふろ、かわらなどの職業、や商売などを表す屋号が並んでいます。それらの屋号の中には今も使われているものがあり、社の商業の歴史の古さを感じます。